擦り切れてなくなりそうなわずかな望み
2018-06-15


『四つの小さなパン切れ』
マグダ・オランデール=ラフォン著
高橋啓 訳
みすず書房(2013年)


映画館で『サラの鍵』という映画を観た。数年前の映画だが、名画リバイバル企画で1週間だけ上映された。この機会逃すまじ、の思いだった。観てよかった。満足した。
映画が評判になった前かあとかもう憶えてなくてわからないが、原作の小説は翻訳されて単行本になっていた。けっこうな長さの本だったのですぐには手が出なかったが、何年かのち、たまたま入った古書店でリーズナブルな価格になっているのを見て買ったのだった。ところが、はっきりいうが、小説はいまひとつだった。題材、素材の求めかたは素晴しく、物語の展開も申し分ないのに、表現がくどい箇所、余計な描写が多くて、げんなりさせられる。言いたいことは山ほどあって全部盛り込みたいのはわかるが、ところどころで、というか全編にわたってそのくどさがひっかかり、かえって焦点をぼやけさせてしまっている。こいつのこのセリフはなくてもよかろうに、とか、そこまで細かく言い尽くさなくてもわかるよ、とか、つい小姑みたいに小言を言いたくなる。と、いうこともあって、これが原作なら映画は少々鼻につくかも、と思われたのだが、さすがは映画だ。言葉でくどくどくどくどグダグダグダグダゆーてたところを一瞬のシーンで語ってしまう。名優の名演で示唆する。風景や音楽でにじませる。もうその削ぎ落としかたといったら素晴しいことこのうえなかった。主演女優は好きではないタイプだが、原作には合っていると思われたので、これでいいのだった。

『サラの鍵』は、ヴィシー政権下のフランスで、パリから強制連行されアウシュヴィッツ収容所へ送られたユダヤ人の悲劇を題材にした小説である。ユダヤ人たちは「ユダヤ人」と書いたワッペンを服に縫いつけさせられ、男性は強制労働に駆り出されていた。あるとき一斉に検挙され、ひとところに収容され、やがて順次収容所に送られる。パリで起こったこの強制収容は、調べによるとナチスから命令されていたわけでなく、頃合いかと考えてフランス側が「忖度」して行ったといわれている。いずれにしろ、フランス史の大きな汚点であるとされ、長年触れられずにいたのだが、シラク政権下でこの行為にかんする謝罪声明が出された。
つまりホロコーストはドイツのナチス政権だけの犯罪ではない。当時ヨーロッパ全体がユダヤ人を排斥しようとしていた。他国は、態度を明快にしたドイツに、これ幸いと便乗したのだ。
ユダヤ人たちはあらゆる場所で被害に遭い、生き残った人々も、気の遠くなるような辛酸をなめながら這いつくばって生きてきた。自分の前半生につけられた烙印を隠し通すひともいれば、積極的に訴えるひともいた。

マグダ・オランデール=ラフォン(Magda Hollander-Lafon)は、16歳の時に故郷のハンガリーからアウシュヴィッツに強制連行された。その場で家族とは引き離され、家族はすぐガス室へ送られたが、マグダは生き残った。ほかの子どもたちとともに、屈辱的な生活を強いられながら、奇跡のように、すんでのところで機転をきかせ、生き残る方向へのあたりくじをひいたのだった。保護された先で教育を受け、教養を身につけた彼女は、年をとってから体験を書き綴り、周囲を驚かせた。そんな過酷な人生を送ってきた人だとは誰も思わなかったという。マグダの収容所生活を綴ったくだりは、『サラの鍵』のサラの経験と重なる。マグダの詩や文の行間に、映画『サラの鍵』や、『サウルの息子』で観て脳裏に焼きついていた映像が、幾度も浮かんだ。
痛ましい、凄まじい、というような言葉では表現できない。想像を絶する。

原題は:

Quatre petits bouts de pain
Des tenebres a la joie

(四つの小さなパン切れ
 暗闇から喜びへ)


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