擦り切れてなくなりそうなわずかな望み
2018-06-15


収容所で、息も絶えだえになっているひとりの女性が、マグダに四つの小さなパン切れを与えてくれた。からからに乾いた、硬い小さな塊だった。マグダは、そのかびたうえにかちかちの、しかしあまりに貴重な、パン切れを食べた。パン切れは、物理的に空腹をまぎらしただけでなく、望みを捨ててはいけないことを教えてくれた。収容所での生活では、絶望しかない環境ながら、ごくごくたまに、人心に触れることがあった。それは、真っ暗闇に差すひとすじの光のような、かけがえのない、しかしすぐに消え入りそうな希望だった。マグダは、そんな擦り切れてなくなりそうなわずかな望みをもちつづけ、生き延びることができたのだった。

本書は2部構成になっている。
前半はマグダが収容所での経験を詩のように綴った「時のみちすじ」。これは1977年に一度まとめられ、 フランスで出版されたという。その反響はさざ波のように徐々にひろがり、マグダは、自分の体験を後世に語り継ぐことの重要性を痛感する。そして中高生たちと対話をするようになり、その内容をまとめたものが、後半の「闇から喜びへ」である。

よく書いてくださったと思う。
書き残すことはとても重要だ。
辛苦の記憶を書き綴ることは自分で自分を拷問するに等しいこともある。
しかし、苦しんだ人には、書いてくださいと言いたい。
(自分も、書いていこうと思っている)
(いや、たいした苦しみは経験していないのだけれども)

ナチスの蛮行はどのような理由を並べようと正当化できない。そのことは、現代人である私たちには自明のことだ。しかし、現代人である私たちは、いったい、ナチスの蛮行を、どの程度知っているだろうか?
戦後、多くの証言が掘り起こされたとはいえ、それは断片的な事柄のつぎはぎをもとにした「想像」である。その「想像」はかなりの精度でほんとうにあったことを再現しているかもしれないが、それでも、わたしたちはその実際を、ほんとうには知ることができない。それは、現在のように記録の手段が発達した時代でも、同じことだ。
だからこそ、当事者が書いて残すことの意味は、とても大きい。

日本も同じである。戦争を知る人たちの証言を可能な限り残していかなくてはならない。
そして今、現在も、あちこちで起こっている理不尽な出来事についても、すべて記録は残されなくてはならないのだ。
公文書改竄とか日報隠蔽とか、あまりに幼稚で言語道断なのである。ああ。

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