Je suis Charlie (2)
2015-01-12


「ありがとう、私は大丈夫」「重い悲しみに押し潰されそうよ」「今日の午後、友達と追悼デモに行きます。ひとりでいるより、みんなと分かち合いたいし」

パリの友人たちからぽつりぽつりと返事が来た。例外なく皆驚き、悲しみ、そして恐ろしさに怯えている。いつも冷静で皮肉屋のある友達が、いつになく取り乱していたことが伝わってくる。一人暮らしで、いかにもパリジェンヌらしい個人主義を貫いている女性が、「みんなとともに在りたいもの」なんていう。ふだんは「隣は何をする人ぞ」的なフランス人が、自由という旗印の下に連帯するとこれほどのパワーが発せられるのか、と、レピュブリック広場からの中継や、フランス全土各都市にも波及した追悼デモのレポートを目に耳にするたび感心する。群衆が集まってシュプレヒコールを挙げるフランスの様子を眺めるのは、直近では大統領選挙のときかな。その盛り上がりがうらやましいと思ったものだ。今回も、このマニフェスタシオンそのものについてだけ言えば、「国民よ結束せよ」という(支持率が激落ちしてる)大統領の呼びかけに呼応して老若男女、出自を問わず、ぐわあああっと集まるパワーは素晴しいし、やはりうらやましいと思う。

しかし、彼らがこれほどまでにパワフルなのにはわけがある。
約200年前、フランス人は血で血を洗うようにして「自由」「平等」「兄弟愛」を勝ち取ったのだ。彼らにとって「自由」は何にも代え難い、掛け値なしの、正真正銘の、「命がけで勝ち取った」「なんびとも生まれながらに保持する侵されざる権利」なのである。自由は天から降ってきて空気のように当たり前にそこに在るもの、みたいに感じている日本人とはエライ違いなのだ。
「表現の自由」の象徴たる新聞社(週刊紙)への銃撃は、まさに「自由」を踏みにじり冒涜する行為ゆえ、フランス人は立ち上がった。シャルリエブドの編集長、シャルブは「ひざまずくくらいなら立って死ぬ」と言っていた。どこからでもかかってこい、逃げも隠れもするかい、言いたいことがあれば言え、と公言していた。そして真正面から、名を呼ばれて、撃たれた。
いちいち言いたくないが、でも言うが、すでに日本の新聞は、週刊紙もテレビもラジオも、「表現の自由」の象徴などでは全然ない。ひざまずけなんて言われてないのに自らかしずいて、おいしいご褒美もらってせっせと貢いでいる。
Liberteという名のパン屋が近所にあるが(美味しいパン屋さんだけど)、訪ねるたび店名が空虚に響く。日本に、リベルテの概念は、実在しない。言葉の意味があるだけだ。あ、いや、パン屋さんに罪はありません、断じて。

フランソワ・オランドの掛け声に集結した、英独の首脳はじめアフリカや中東から首脳が集まり、みな腕を組んで横に並び、一緒に歩いている。こんな風景、初めて見る。なんだ、みんな、仲良くできるんじゃないか。せっかく集まったんだからちゃんと話し合ってよ。そして、とふと思う。アジアでのこの風景は可能か? 誰が掛け声かける? そこからもめそうだ。誰が誰の隣に並ぶかでまたもめそうだ。どこかの極右傀儡政権のソーリだと、たぶん誰も駆けつけてはくれないだろう。というより、集まってもらうような案件が起こりそうにない。攻撃してもたいしたダメージを与えられないところは、テロの標的にはならない。たとえばどこかの極右傀儡政権のソーリは「あ、沖縄ならいいですよ、いつでもドーゾ。東北でも全然オッケーよ。テロ、ウエルカム」とか言いそうだ。冗談でなく。しかしテロリストは、歓迎されるようなところは襲わないのだ。

パリ150万人、リヨン25万人、トゥールーズ15万人。ボルドーやディジョン、グルノーブル、メッツでも数万人規模、私の第二の故郷モンペリエでも7万人。
ロンドン、マドリッド、ローマ、ベルリン、コペンハーゲンなどでもデモ行進。ミュンヘンはどうなんだろうかと少し気になる。


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