Je suis Charlie (2)
2015-01-12


行進する人々の様子を見ていると、家族連れ、友達どうし、カップル、さまざまに連れだって、いやひとりで参加した人も、おそらく隣り合わせた人と手を取りあって、Je suis Charlieの横断幕とともに、その言葉を大声で叫んでいる。ペンを掲げる人もいる。鉛筆のかぶりものをもってくる人や、色鉛筆を何本も手に持って両手を突き上げる人も。私はイスラム教徒だがシャルリだ。私は黒人だがシャルリだ。私はユダヤ人だがシャルリだ。そんなメッセージを書いたボードを首から下げる人、背中に貼って歩く人。
さっき、ラジオからはグランコールマラド(Grand Corps Malade、シンガー)の声が聞こえていた。歌詞に「Je suis Charlie」が組み入れてあった。

だれもが「シャルリ」を名乗った日。
Je suis Charlie.

お祭り騒ぎにまぎれて、また酷いことが起こらなければと思う。
捜査状況も報道されているが、犯人は3人とも射殺され、うち一人の内縁の妻は消息を絶っているとあって、彼らがいかにして襲撃するに至ったのか謎のままだ。その内縁の妻の身柄を捕獲しなければ、真相は闇のままだ。しかし、自死する可能性も高い。なんてことだろうと思う。恐怖は、居座り続ける。

返信メールをくれた友達の一人が、リンクを張ってくれていた。
2006年の映像だが、シャルリエブド編集部のミーティング風景だ。
[URL]
この人たちは、もういないのだ。
ほぼみなが、銃弾に倒れた。
どれほど無念だったろうか。悔しさを感じる間もなかったかもしれないが……。
スタッフのペンからすらすらと、つぎつぎに風刺画が描かれていく。それはイマイチだよ。おおそいつはいいぞ。表情がピンと来ないよ。いっそ顔を隠せば。台詞を換えてみろ。……知性と才能にあふれた人々のつくりあげる、洗練された時間と空間がそこには在る。たしかに在る。なのに、もう二度と再現はできないのだ。映像が進みゆく。私は、泣いた。喪失の大きさに、あらためて打ちのめされて、泣いた。

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[おもったこと]

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