Je suis Charlie (3)
2015-01-14


今朝の新聞の一面に、「仏『テロとの戦争』宣言」「大統領『団結を武器に』」という見出しがでかでかと載っていた。ちなみにウチの購読紙は地元の地方紙だ。切れ味はあまり鋭くないがいちおう反原発、反安倍の姿勢をちらつかせているので、ふだんは極端に不愉快にさせられることはない。しかしご想像いただけると思うが、こういう国際的な事件などの報道では「独自の論調で議論を展開」なんてされたためしはない。これは、ま、たぶんどちらの新聞さんも同じような事情なんだろう。とくに今回のような、加害者も被害者もその思想が平均的一般日本人の常識からはかけ離れたところにあり、また事件後のその他大勢の人々の反応も、これまた平均的一般日本人の常識では測れないものだったりすると、右へ倣えの記事しか構成しようがないだろう。新聞社だって、平均的一般日本人に過ぎないのだ。でもさ、各社の特派員ってこういうときのためにいるんだよね? 起きたことの事実関係を正確に伝えることが最重要だとしても、今どきインターネットでニュース見れば特派員のレポートより早く現地の事件を知ることはできるわけよ。わざわざ海外に派遣されてるってことはもっと事の深層まで切り込んでレポートすることを期待されてるんじゃないのかな。複雑に絡んだそれぞれの思惑や国際関係の裏事情や社会の病理をつねづね、そこに身を置いて肌で感じているからこそ書けること、そういうことが特派員の仕事じゃないのかな。知らないけど。「テロとの戦争」の文字の横には銃撃事件から1週間がたって殉職した警官の追悼式典が行われたことなどが短く書かれていて、同じ段に「Charlie Hebdo」の最新号の表紙画像が誤訳誤解釈とともに紹介されていた。新聞さー、ほんまにさー、速報性という点ではもうネットには勝てへんわけやから内容で勝負せなあかんやろ。共同で回ってきたもん鵜呑みにせんと「これホンマかい?」と引っかかってくれよ。ほんで尋ねたらどうなん、京都には日仏学館もあってさ、エライカシコイフランス人がうじゃうじゃ住んでんねんで。そら、ふつうは、特派員ってブン屋のエリートやからそこから来る記事が上っ面撫でただけの浅い浅い内容やとは思わへんかもしれんけど、こんだけ世の中で「風刺やユーモアや」「いや違う侮辱や差別や」「暴力はいかん」「殺されるほうにも非がある」とかなんとかかんとかやんややんやいうてんねんから、「ん、これはどう解釈したらいいのだろう」とかさ、考えて、よう吟味してから紙面つくろうよ。ホンマに滅びるよ新聞。

新聞の心配をするためのシャルリその3ではないのだ。
米国ニューヨークでの同時多発テロのときも陰謀説が賑やかだったが、今回は、陰謀説、ないのかな。
ついこないだ、どこかの国の極右傀儡政権のソーリが別に誰も頼んでないのに消費税増税を先送りの信を問うなんつー“小泉純ちゃんの劇場型に負けたくないの”自己陶酔型解散総選挙を強行したけど、それも国民の反感が増してきて支持率が低下して危機感を覚えた「側近たち」がアホソーリをけしかけたのだった。これと比較して論ずるのはあまりにフランソワ・オランドに失礼だが(失礼じゃないかもしれないけど。笑)、オランドも国際的には存在感がなく、国内的には打つ手総崩れで国民の不満が募るばかり、私的には元カノから暴露本出版されたりで踏んだり蹴ったりだった。何か劇的に大きな出来事とか社会現象が起きて突破口とならない限り支持率の回復は見込めそうになかった。
そこで。
なんか、しようや。
なんぞ、方法はないかいな。
と、いろいろ策を講じたとしても不思議ではないではないかい?


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[おもったこと]

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