Ce monde existe pour l'avenir des enfants.
2014-08-20


この間、地蔵盆を開催した。

まちにはいたるところに「お地蔵さん」がある。ふつうは町内会ごとに祠がひとつ建てられていて、町内会ごとに自主的に管理している。町内会ごとにルールがあり、そのルールはけっこう頑固に厳密に運用される。A町がこうだからといってB町はけっして A町のやりかたになびかないのだ。各町内会ごとのお地蔵さんには、各町内会ごとに歴史があり、住民と深く関わってきているので、その信仰の在りかたもさまざまであるのだ。

ウチの町内会の場合、「お地蔵様を奥まった路地に移したら七人も死者が出た」という言い伝え(というより事件。そんなに古い話ではなくほんまに起こったこと。今90代の長老たちが幼少の頃に経験した。……らしい。笑)があり、以来、何をおいてもお地蔵様より偉いものは存在しないのである。車が増え、駐停車などの便宜を図りたいがゆえに人目につかない路地奥に移動されたお地蔵さんの祠は、ばたばたと死人が出たことに驚いた住民によって、再び表通りへ移された。こうした移転のたびにその費用は住民が出し合う。小さな額ではないが、お地蔵様のためならエンヤコラ、なのである。
数年前、長らく表通りの定位置に居られたお地蔵さんに危機が訪れた。ちょうどお地蔵さんの真後ろにあった染め工場が敷地を売却して移転することになった。それじたいは構わないのだが、売却の際の条件が「お地蔵さんをここからどけてくれたら」ということだったらしい。緊急に開かれた町内会の会合の席で、染め工場の主人は半泣きになりながら生き残るための苦渋の選択を詫びた。「すんまへん。みなさん、すんまへん。お地蔵さんにも、すんまへん。そやけどほかに道がなかった。わかってもらえへんやろけど、ほんま、もうしわけおまへん」
染め工場の主人を責めることなど私たちにはできなかった。
工場の移転と再建、事業の立て直しを進めていけば資金はあっという間に底をつく。土地をできるだけ高く売るためには、お地蔵さんの移動という鬼のような条件を呑むほかなかった。

しかたがない。
しかたがないが、お地蔵さんの行き先を決めなくてはならない。
腕のいい大工さんに、祠を建ててもらわなければならない。
手提げ金庫じゃあるまいし、ここはアカンの、ほなあっちに置いとくわと、ほいほい持ち運びするようなものではないのである。

跡地にはどでかい分譲マンションの建築が決まっていた。
「マンションの出入り口に祠を建てさせてもらうわけにはいかんのか」
こうした意見はごく自然にみなの口をついて出た。市内にはお地蔵さんを設えたマンションが何軒も建っている。おそらく町内会との話し合いの結果、地蔵様の安置場所を変えずに従来の位置を維持したケースなのだろう。
しかし、「それは絶対に受け容れられんといわれたんです」と件の染め工場主が再び泣きそうな顔で、消え入りそうな声で述べた。
マンションのアプローチにちょっぴりモダンなお地蔵様の祠が建つ。ほんの一瞬、皆がイメージした絵。しかし文字どおり「絵」にもならなかった。「お地蔵さんをどける」条件で契約が成立している以上、もうやいのやいの騒いでも始まらないのである。

(町内には大きなマンションが幾つも建ったが、いずれも、売り主つまり元の住人はひと言も周囲に漏らさずある日突然、土地売った、引っ越す、マンション建つしよろしく、ほなさいならとトンズラするのである。なぜそんなに秘密主義なのか。引っ越すのも売るのも勝手だが、跡に建つものについて私たち旧住民との相談の場を設けることはそんなにも罪なことなのか? それほどまでに買う側つまり不動産会社や土建屋は怖いのか?)

どこへ移そう?
何本かある路地のうちのひとつに、空き家があった。その家の手前部分をつぶして地蔵様を祀るというのはどうだ?


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[こども]

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