Mon amour qui s'installe sur mes genoux.(2)
2014-08-15


毎日とても暑いけれど、それでも私の膝に来る猫。
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娘が幼い頃、いつも私の膝の上にいた。そこにいるのが当たり前、そここそが自分の場所とでもいうように。猫が膝に来るとそんなことを思い出すけれども。

決定的に違うのは、猫はモノを言わないということだ。
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私の膝に来るときは、たいていそこでしばらくくつろぎたいときなので、ただ黙ってしっかり踏ん張って座るのである。

こんなふうに、しっか!と踏ん張って。
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それにしても貫禄のある前足だ(笑)。誰に似たのか(笑)。

いっぽう、しっぽで優しく飼い主の太腿を撫でることも忘れない。
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そして、私の膝に居座るにはもっと必要なものがある。けっしてどかないわよ、という強い意志である。

どかへんで、という意志の表明。
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動くもんですかっ。
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ここにいたいのよあたいは!
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あたいに構わないでよねっ ……と主張する両の耳(可愛い〓。笑)。
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娘は私の膝に来る時には、よく絵本を一つ二つ携えて「読んで」とせがんだ。何も持たずにただ自分の椅子に座るようにして私の膝に座る時には、「ひとりお話ごっこ」をえんえんと続けたり、保育園で習ってきたばかりの歌を壊れた蓄音機のように歌い続けた。壊れた蓄音機だなんてひどい言いかたかもしれないけど、だって、音程も変だしエンドレスに同じフレーズが鳴り続けるんだもんさ(笑)。
ともかくそんなふうに、私の膝の上で娘はひたすら賑やかだった。
「ここからけっしてどかないよ」という強い意志があったのはいうまでもない。

いったいいつから娘は私の膝に座らなくなっただろうか。
いつから娘と手をつないで歩くことをやめただろうか。
私たちはいまでもよく二人で出かけ、並んで座っては写真を撮り、周囲から仲良しだねと羨ましがられるけれども。
娘が膝に来なくなった日。
娘と手をつながずに歩いた日。
それが、思い出せない。まるで、覚えていない。それら瞬間はごくごくしぜんに訪れて流れていった。毎朝の挨拶のように。お弁当包みを選ぶときの心境のように。脱ぎ散らかされたままの靴を揃える時の 溜め息のように。


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[ねこ]

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