Je parle de Monsieur de professeur Nishikawa...
2013-11-27


西川先生はフランス文学研究からスタートされ、とりわけスタンダールの研究に情熱を注がれた。他方、留学中にMai 68(日本では俗に五月革命と呼ばれている)を丸ごと体験され、そのことがのちの研究生活や生きかたすらをも大きく変えたとご自身も述懐されているように、国民国家論、植民地主義論、多文化・多言語主義共同体論の追究に多大なエネルギーを注がれていく。
西川先生は明治維新の研究にも情熱を注がれ、現代日本人がこの大きな出来事に一般に無頓着で大河ドラマのネタぐらいにしかとらえていないのとは対照的に、異邦人のごとく透徹した視線をこの時期の日本と日本人に向けて思索を重ねておられた。そのうえで、日本におけるこの大きな変革のありさまと、フランス革命の類似性に言及されること頻繁であった。
フランス革命は、その後地球上に発現するあらゆる「国民国家」のモデルたる国民国家を短期間で成立させることに成功した、稀有な歴史的一大イベントであった。フランス共和国という国民国家が使用した「国家イデオロギー装置」はその後、国家の統一のツールとしてヨーロッパ各地で二次利用されていく。有効に使われ効果を発揮したケースも、そうでないケースもあるなか、唯一東洋でそのツールを採用し、西欧に追いつけ追い越せを実現したのが日本だった。
西川先生の、フランスを基底に、日本を基軸に置いた思索と探究は、仮に他地域にあてはめても符合することが多い。したがって、西川先生の論考を読むと、それがフランスに特化して書かれたものでも世界性を帯びている。古い議論であっても現代に通ずる。西川先生に限らないけれども、広く深く考え抜かれた人の書かれる文章は、圧倒的な普遍性をもって読む者に迫る。その論考は、書かれた時点で現代性を強く帯びていたはずだが、その当時はもちろんのこと現在進行形の「今」にも強くあてはまり、幾たび反芻しても色褪せない。


ただし、ある種の人々にはまったく響かないということもあるだろう。国家論やイデオロギーが俎上にあるとき、それは避けられない。私たちは人間だから。野生動物ではなく人間であるがゆえに、「国家」や「通貨」などといった、見かたを換えれば切った爪のかけらほどの価値もない幻想を躍起になって守ろうとする、そういった種類の人々をも含有してしまう。


以下は、『フランスの解体?』(人文書院1999年刊)から。


《私にとっての歴史のイメージは、沃土をもたらす大河を思うときがないでもないが、概してわれわれの身をがんじがらめにしている無数の糸か網の目のようなものだ。私自身はその網の目のいくつかを食い破って外に逃れ出ようとしているのだが、同時に、そんなふうに逃れてみても結局はまた別の網に落ち込むであろうという醒めた予感もあるといった、何とも手のつけられない代物である。》(132ページ)

《歴史はつねにそれが書かれた現在を語っている。フランス革命二〇〇年に描かれた革命像は、現代世界の混乱を映しだす。だが、見誤ってはならないのは、われわれが直面しているのは社会主義の敗北と資本主義の勝利ではなく、社会主義国家の失敗であり資本主義国家の変質であろう。》(「国家」の語に傍点、136ページ)

《中央集権の政府を作り、徴兵制の軍隊を作り、国民教育の学校を建て、国語を作り、国家と国旗を作り、国境を引き国籍を定め、……国民国家(Etat-Nation)形成のために何十万、何百万の人命を犠牲にし、何という情熱とエネルギーが注がれたことであろう。(略)結果的には多くの異端を排除し、強力な国家の形成に力を貸すことになったのである。(略)権力は国家の名において人民に命令する。一つの主権国家は国益の名のもとに他の主権国家を脅かし、一国民の自由と幸福の名のもとに他の国民の自由と幸福が侵害される。》(136〜137ページ)


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[西川先生]

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