Ca fait quatre mois.
2011-07-11


今日は11日。震災から4か月経った。4か月は長いか短いか? 長い。とても、長い。当事者でもないのにこんなこというのは不謹慎かもしれないけれど、毎日とても消耗し、疲弊している。震災のことで消耗するなら関連ニュースを見なければいいじゃないか。遠い場所に住んでんだからそれも不可能じゃないだろ? そりゃそうなんだけど、そうはいかない。直後から、地球の裏側での報道のされ方まで検証する羽目に陥ったし、より正確な記述がほしくてあっちもこっちも、昔の文献まで持ち出したりして、そんなことに大きく時間を割けるはずもないから微々たるもんなんだけど、とにかく、以来、ごくわずかなネタを当ブログでもこぼしているのでご想像いただけると思うが、よたよたへろへろ、ご覧のようなありさまで現在に至る、である。
あの日から、私の身の回りでさえ、些細なことばかりが「塵も積もれば」状態になっているだけにせよ、さまざまなことが激変している。その大きな変わりざまに、かよわいオババゴコロはついていけなくて、家や会社や友人の前で虚勢を張るのが精一杯だ。なんでもないさ、どうってことないわよねえ、だってここは無事だもの離れているものね、心配することは何もない、何もない、何もない……。

つきあいのある営業マンに津波で実家を流されてしまった青年がいるが、虚勢を張っているといえば彼のほうが私の何万倍も張っているだろうに、彼は気丈にいつもと同じ調子でお世話になりますっ次号の取材ですが次の日曜日空いてますかっ……なんて人の休みを潰すアポを入れてくれるんだけど、ダメな私は彼の弾んだ声を聴くとにわかに平常心でいられなくなる。後頭部の底のほうが疼く。といってかける言葉なんか見つからないし、その後の経過なんて尋ねられないし。ここで抱えきれないほどの得意先マターを日々捌かなくてはならない彼、被災地に縁のないほかの多数の人々と同じように振る舞うしかない彼の胸中など、私には米粒ほども解れない。ただ電話を切ったあと、ひどく動揺し心をすり減らしている自分を感じるのみである。……というような、そんなことがいくつもいくつもある。

誰ひとり、この私に、ちょっと聞いてよこんなに辛いのよ、とか、今避難所はこんな状況なんだぞどう思う、とか、何が何でも脱原発だよそう思うだろ、なんて話をする人はいない。誰も、何も、話さない。あの3月11日以降の、呑まれてしまった大地と命、崩れてしまった暮らしの礎、撒かれた毒としか形容しようのない放射能について、語らない。口に出して話すということは、それほど違うのである、ただ書くということとは。
書いている人は山のようにいる。私もそのひとりだし、表現の方法は異なれど、たぶん、書ける環境にある誰もが皆、書いてはいる。誰もが今、ぴゅっとひらめいたこと、カチンと頭にきたこと、うおおっと驚いたことを、口に出さずにツイッターとかいうやつに投稿しているようである。それならできるらしいのである。私はコピー屋のくせに短文でちゃちゃっと何も書けやしないので、ツイッターとは無縁であるが。しかし、ツイートはさんざんするけど口に出して語ることもする人は、稀である。
口に出して話すというのは、テレビかなんかの収録とか、不特定多数に呼びかける講演とかでない限り、普通、相手が居る。相手が要る。そして私が発した言葉は相手を射る。
相手をそのような言葉まみれにするのに、3月11日以降のこの国での出来事は、重すぎるのである。辛すぎるのである。私たちですらこんな体たらくなのに、当事者の方々は、その辛さを、悲しみを、寂しさを、虚脱感を、喪失感を、怒りを、どれほど「言う」「話す」ことのないままに耐えていることだろうか。語れない、吐き出せない、言葉が見つからない、励ましてくれる人、元気づけてくれる人、手伝ってくれる人たちの気持ちがありがたいゆえにぶちまけられないでいる、飲み込んでしまう本音の、いちばん重たいところにある気持ち。

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[おもったこと]

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