Dear friends...
2011-06-16


震災や原発のことを口にするのは「大変憚られる」というムードが、こちらにはある。いや、こちらというのは関西を意味するつもりで書いたけど、今ふと、それは私の周りだけかもしれない、と思った。そうだ、きっとそうである。私は広告業界に足を引っ掛けている。報道や議論の現場からはあまりに遠い。広告業界は美しいもの、心地いいものだけを追求する業界なので、気持ちが曇るようなことは表現してはならない(これが芸術とは大きく違うところだ)。たったひとりからのクレームでも大問題。だからクレームがこないように、疑わしきはすべて取り去るか薄めるかモザイクで隠す。こんな業界以外では、きっと活発に率直に、口に出し声を挙げて意見を交換しているのだろう。
取材(たいへん明るくノーテンキなネタでの取材)で自治体首長に会うことが多いが、話のついでに東北のこと、震災のこと、原発のこと、政府のこと、節電のこと、尋ねてみたい気に駆られる。だが、仲介する代理店やプロモータに「触れないように」と、あらかじめ釘刺されたりする。で、私は「今回の取材趣旨とはまったく無関係ですものね。心得ておりますよ」と答える。「でも、あちらから話題に出されたときは話の腰は折りませんよ」と言い添えるのを忘れないけど(笑)。

いずれにしろ、職場や顧客・取引先などでは全然話題にならない。関電が15%節電しろといい、隣の府知事が「んなもん知るか」ってわめいたという報道記事は多方面で共有しているはずだが、それが雑談にすら出たことはない。こんなとき、何かを述べることは、どっちかの「側に立っている」ことである、そう相手に見透かされるのが怖いのである。相手あっての商売をしているから、「あ、こいつ反原発派? じゃもう発注するのやめよかな」なんて極端な例だが、でも、そういう事態をお互いに避けたいので、主義主張はしないのである。どっかの都知事が集団ヒステリーと形容したのは的外れではない。ある側から見ると反対側はそう見える。たとえば、私はシーなんとかいう、日本の調査捕鯨船の仕事の邪魔をする変な集団、あの人たちのことなどを、都知事の言葉を借りれば集団ヒステリーだと思っているが、鯨愛護者、捕鯨反対の人から見たらシーなんとかさんは至極真っ当なのである。
仕事に直接関係ないことで意見対立してしまったら、その後「やりにくくなる」。それは非常に「不都合」だ。

だから公の場では、尖った刃の先を折って磨いて丸めて「長いもの」の色に染まった当たり障りのないことしか書かないマスコミの振る舞いをほぼなぞるかたちでしか、お互いに発言しない。

今、そういう場に身を置くことが非常にしんどいのだろう、私は。
「のだろう」としかいえないのは、実際のところ自分でも確信がもてないからだ。

私を知る人は「嘘つけ」と笑うだろうが、私は実はあまり喋らない。とくに親兄弟の前では喋らない。「あ」「うん」「ん」「いや」「まあ」「そやな」くらいしか言わない。娘に対してだけは話をするが、必要な時に限る。だが私と喋るのが好きだという友達は多い。それは無邪気な要請なので喜んで応じるし、そんなときはよく喋る。だが身内の前では喋らない(たぶん父も母も、無愛想な娘だ嫁の貰い手がないのも道理だと思っていたに違いない)。いや、べつに珍しくもないだろう、こういう人間は多いはずだ。仕事で顔も性格もつくっているので帰宅すれば反動がくるだけだ。喋るのはエネルギーの要ることだ。精根尽きて帰ってさらに消耗するのは耐えられない。
それでも、たぶん、余力があったら、私は、四六時中わめき散らすに違いない。アホボケカスーの罵詈雑言に留まらない。余力があったら、仕事なんて放り出して奔走するだろう。おさかさんからは余計なお世話よと門前払いを食らうかもしれない(笑)けど、友達のもとへ、福島と、茨城と、埼玉と、群馬と、神奈川と、静岡と、そして東京にいる、大切な友人たちのもとへ走って、逃げて逃げてーなんて、叫ぶのである。

でも、しない。

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