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Ici a Otsuchi, des ecoliers reviennent de l'ecole et rentrent dans leur camp d'hebergement ≪ provisoire ≫.
AFP PHOTO / TOSHIFUMI KITAMUR
たくさんの子どもたちがそのあまりにも貴重な命を失った。未来輝いていたはずのひとりの子どもの命の貴重さといったら、国会議員100人分、御用学者や官僚100人分、東電社員1000人分足しても及ばない。全然、全然、ぜんぜーん(しつこい?)及ばない!
朝、ドタバタと出かけていく娘を見送り、夜帰宅し、トドのように寝そべって足でお帰りを言う娘を見て、ほっとして、よかった今日も幸せだと思い、世の中はどうしても不公平にできているのだな、と思う。
「福島のお母さんへ」(きっこさん)
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武田邦彦先生の日記から
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「福島の子どもたちを守れ!」
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上記ブログはここのスタッフ便り。チェルノブイリ子ども基金
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ナターシャ・グジー(チェルノブイリの歌姫)HP
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数日前に「観てね」と紹介したNHKの世界のドキュメンタリー、チェルノブイリ原発事故25周年記念番組のほうはいろいろやることがあって全部観られなかったのだが、今週アタマからやっていた核のゴミ処理のほうはガッツリ観た。
みんな、観た?
これまでに、だいたい、なんとなく見聞していたことどもを、裏づけてくれた内容だったけど、ああいうふうにまとめてくださったりするとなぜか不必要にショッキングである。
フランスでは、あの番組、どのくらい観られたのかな。東日本の震災前に放映されているはずなんだけど。
滞日フランス人が「フクシマダイシィ」(福島第一をフランス人が発音するとこうなる)が壊れてすぐ飛んで帰ったのも、爆発(破壊)直後の放射能拡散が最も大きいという、(ノーテンキなわが国でだって専門家の先生方や東電の幹部はよおく知っていた、でも政治家と国民は知らなかった)事実と被曝の危険性をよく心得ていたからに他ならない。
でも、帰ったその自分の国だって、すごく危ないんだよね。
私は「脱原発」を唱え続けるフランス人を何人も知っていて、その「無駄な抵抗」に注ぐエネルギーはどこから来るんだと、その昔は思ったけど、今となってみると彼らはごく普通に常識的に正しいということや、今その彼が必死で私のことを心配してくれるのも、よくわかる。
幸い、私のまちで喫緊にガイガーカウンターが必要だということはないけれど、今後「フクシマダイシィ」がおとなしくなってくれるのかなんて全然わからないし、この先どこにどんな地震が起こるとも限らない。壊れる可能性のある原発は浜岡だけではない。関電のエライさんがウチらの知事に定期点検中の原発の点検が終わったら動かしていいでしょ、と頼んだそうで、頼まれたケイジ君はダメダメほんとに安全かどうかわかんないし、だいいち福井県さんがうんと言わないよ、と答えたらしい。
福井県知事にお願いする。
関電にゴーサインを出さないで。
福井県がこれほどまでに原発建設を受け入れたのにはひと言では語れない多大で深刻な事情があったと思うけれど、それでも、原発はやめなくてはならない。原子力発電所は、ひとつずつ、停めていこう。停めて、廃炉していこう。福井県だけじゃなく、ぜんぶ。原発とか原子力とかいうのをやめて、「核」とはっきり呼ぼう。私たちが電気を得るために動かしているのは「核」なのである。
私たちには、子どもたちに負の遺産を負わせる権利はない。
子どもたちはもう、十分すぎるほど傷ついた。