2011-01-21
『チュニジアン・ドア』
高田京子 詩・写真
イリエス・ベッラミン、フランク・ミラー訳
彩流社(2005年)
社会人駆け出し2年目だったか生意気にも休暇をとって、小百合とニューヨークへ旅行した。滞在中、偶然入ったジャズバーで、ディジー・ガレスピーがライヴをしていた。当時つきあっていた慎吾から教わってガレスピーというトランペッターの名前もその風貌も知っていたので、思わぬ偶然に私は小躍りしたものだった。とはいっても彼のオリジナル曲まで覚えてはいなかったので、風船みたいに膨らむガレスピーのほっぺたを眺めながら、何吹いてんだかわかんないけどこの雰囲気はいいなあ、なんて小百合に言うと、英語のわかる小百合は「これからチュニジアンナイトっていう曲を演奏するみたいよ」といった。へえ。
マグレブから西アフリカあたりの文化に興味をしんしんともち始めていた私は、もちろんチュニジアもターゲットのひとつであったので、キョーミシンシンで耳を傾けた。だが、そのときの私には、なぜ、今吹かれている曲がチュニジアの夜という題名なのか、当然といえば当然なんだけど、ぜんぜんわからなかった。だが、とにもかくにも、もうメロディーだって忘れてしまったのだけれど、「チュニジアの夜」はたいへん盛り上がり、なんだか聴くほうも演るほうもノリノリで、私たちは図らずも、得がたいほどに楽しいひとときを過ごしたのであった。
以来、ガレスピーはともかく、チュニジアという国は、ファノンのアルジェリアよりも、クスクスのモロッコよりも、サリフ・ケイタのマリよりも、私の気持ちを惹きつける国となった。わが国ではあまり語られることのない国だから、数少ない紀行文や研究論文の類を読み、憧憬の思いを募らせていた。あるとき、老後はチュニジアに移住したいねん、なんてことを、フランスの誰かに話したのだが、なんでえ?あんなけったいな国、みたいな返答をされたことがある。ま、美しいものを創る文化はあるけどな、と言い足してはくれたけど、普通フランス人はマグレブをよく知っているから、彼らのものさしだと日本人がチュニジアに移住するということが測りきれないのであろう。
今、チュニジアで起こっていることは、いくらなんでも、皆さんご存じと思われる。私は紺碧の空と海に映える白い壁とレリーフ、鮮やかな色彩の衣装や絨毯、伝統舞踊音楽、といった部分しか見ていなくて、うかつにも政治体制についてまったく不明であった。えらいことになっているかの地の映像を見て、娘が言った。ちっとも住み心地よさそうじゃないけどなあ、チュニスっていう町。そりゃまあ暴動中だからな。画面から暴動取り除いたとしても、どうってことないやん、どうしてお母さんは住みたいの? ウチは行かへんで。来んでええわ。老後穏やかに過ごすために行くねん。暴動してんのに? アタシの老後まで暴動やってへんと思うわ、いくらなんでも。わからんでえーお母さんの老後ってもうすぐやん。黙れ。
黙れ、だよほんとにもう。……チュニジアは、どこに行くんだろう?
日本では詳しい報道が全然ないから、フランスのニュースサイトと、粕谷さんとか猫屋さんのブログを参考にして〈老後のために〉勉強している私。踏ん張りどころなんだよな、きっと。頑張れ、チュニジアンたち。私の老後のために麗しき国土を守りたまえ。
※追記1) チュニジアンナイト、じゃなくてナイトインチュニジア、でした。小百合の聞き違いや言い間違いではなくて、私の記憶違いです。だってもう四半世紀も前の思い出だからね(笑)
※追記2)本の話を全然しなかったので少しだけ。著者の高田さんには昔出版された旅のエッセイ集「チュニジア 旅の記憶」がある。以降、彼女に何があったのかわからないけど、この本では詩人に変身である。いずれにしろ写し出されたチュニジアの風景が、美しすぎる。言葉を寄せつけないほどに。
以上(1)(2)ともに22日1:59a.m.
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