2010-03-12
いつも娘がたいへんお世話になりまして、ありがとうございます。
親が多忙なため、十分に面倒を見てやれていないのですが、幸い娘は小学校のときから「学校大好きっ子」で、まさしく学校に心身を育てていただいております。
ほんとうにありがとうございます。
つい先ほども、持久走大会から帰宅して、明るい弾んだ声で自身の、また友達の健闘結果を報告してくれました。こうして何にでも全力投球できるのも、先生方の強い後押しがあってこそだと日々痛感しています。
中学校生活も折り返しを過ぎましたが、無事に卒業する日まで、なにとぞよろしくお願い申し上げます。
先日、アンケートが配布されました。その最後に、携帯電話に関する設問がありました。
相変わらず、「家庭内で携帯使用のルールを設けているか」「使い方を話し合っているか」といった設問が並んでいました。
先生方は、携帯電話の弊害は悪質なサイトや勧誘メールの存在にあるとだけ、お考えでしょうか?
知らないうちに通信料が膨大になっていたり、気づかぬまま利用料が発生していて後日法外な請求をされるかも、といった金銭的トラブル発生が懸念される、ということだけが問題だとお考えですか?
こうしたツールの発達でコミュニケーションの形と質も変容しており、そのことへの対処方法にも苦慮されていることと存じます。
生徒とのコミュニケーションをうまくとれない先生方がいらっしゃるのも、ある意味無理からぬことでしょう。
ではなぜ、コミニュケーションの形と質が変容してしまうのでしょう。たかが携帯電話の普及くらいで。
携帯電話を使用することの最大の弊害は「他人の家庭へ電話をかけなくなった」「家に電話がかからなくなり、応答することが少なくなった」ことだと思うのです。
私は普通の会社勤務ですので、普段から取引先と電話で話しますが、先方の若い社員さんなどに、どうも「電話で話ができない」人が急増しているのです。「○○社の●●と申します」「▲▲さんはご在席ですか」など、基本的な話法がまるでできない人が、信じられないけど多いんです。「あのーすみません、えっとー▲▲さんお願いします、あ、あたし●●ですけど、○○社の」というふうに、述べる事柄の順番が逆だったり、敬語を使えなかったりというケースはごく普通にあります。
大きな企業では一通りの新人研修がなされているようで、そういう会社との電話では非常にマニュアルじみた応答がなされます。それは完璧ですが、ちょっとイレギュラーな会話をするととたんに電話の向こうで「え」とか「あ」とか声を発したあと「沈黙」されます。どう返答していいかわからないのでしょう。機転を利かせて「確認しますのでしばらくお待ちください」または「折り返しお電話さしあげます」とその場をしのぐことができないのです。
最初のやりとりだけでなく、具体的な交渉や打ち合わせをしていても、会話中に説明ができない、理由や検討事項をこちらに伝える術を知らない人は実に多いのです。「んーと、それは、結論は◇◇なので、とにかくそうしてくれればいいんです」とか、「えっとですね、それはですね、えっと、あとでメールします」など。前者の例は「つべこべいうな、こっちの言うことさえ聞いてりゃいいんだ」といっているに等しく、後者の例だと、たいてい後から来たメールの内容は支離滅裂です。
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