2010-01-06
『アルネの遺品』
ジークフリート・レンツ著 松永美穂訳
新潮クレスト・ブックス(2003年)
2010年が明けました。
おめでとうございます。
本年も当ブログをご贔屓に、よろしくお願い申し上げます。
新年早々「遺品」だなんて縁起でもない。
そう思われてもしかたないのだが、暮れに、読みたい本が山のようにあったので、しかも高価なので、図書館に予約リクエストを大量にかけに行ったのだったが、そのときいつもの癖で外国文学の書架をぶらついていて、タイトルが目について引っ張り出した本がこれなのである。「遺品」が目についたのではなく「アルネ」が目についたのである。アルネって男の子? 女の子? ただそんな疑問が浮かび、勢いだけで手に取ったのである。うーむ自分にフィットするよい本との出会いはこんなもんなんだなあ、と読み始めて唸ってしまった。私好みのしっとり小説。マンガレリの「おわりの雪」と印象が似ている。
アルネは男の子である。12歳のとき、父親が一家無理心中を図ったが、アルネだけ蘇生術を施され生き残った。父親の友人宅に引き取られ新しい生活を始める。しかし。
《両親はぼくに、アルネの遺品を箱に詰めてくれないかと頼んだ。》
物語はこの一文で始まる。
つまり、冒頭からアルネはもう死んだことがわかっているのだ。
本を手に取り、裏表紙や見返しを眺めれば、アルネが一家心中の生き残りであるという「予習」はできるのだが、読者はこの冒頭で「え、生き残ったんじゃなかったの?」と戸惑うことになる。
物語の書き出しをもう一度。
《両親はぼくに、アルネの遺品を箱に詰めてくれないかと頼んだ。両親はまるまる一か月、何もしないでいた。困惑と、打ち砕かれた希望の一か月。そしてついにある夜、そろそろ彼の遺品を集めて箱に入れてもいいときなんじゃないかとぼくに尋ねたのだが、その口調は、ぼくへの依頼と理解せざるをえなかった。》
謎だらけ。穏やかな文体は、しかし読者の好奇心を喚起し、「ぼく」の妙に落ち着いた様子にときにいらだちも感じさせながら、最後まで、つまり「ぼく」の語りの最後まで、ぐいぐいと引っ張ってゆく。
「ぼく」は、アルネが引き取られた家の長男ハンス。アルネ12歳に対して当時17歳だった。アルネはこのハンスと部屋を共有する。辛い経験をしたアルネをハンスは当然温かく迎えようとする。それは最初は同情からだが、やがてアルネの聡明さや透徹な精神性に尊敬を覚えるようになる。十代の頃の五歳違いは大きい。アルネもハンスを兄のように慕い、信頼する。飛び級を推奨されるほどの、アルネの類い稀な明晰な頭脳にも、またガラスのように脆そうな精神にも、ハンスは寛容になれる。しかしハンスの弟、妹たちは、アルネと歳が近いだけにアルネをやすやすと受け容れることはできなかった。死の淵から蘇ったアルネには、どこか現実離れした言動がある。ちょっぴり不良ぶりっ子の弟、妹たちは「アイツとは話が合わない」で済ませてしまい、アルネを仲間に入れようとはしなかった。ハンス、ハンスたちの両親、両親が雇う警備員、港の人々、学校の教師たち。大人は皆アルネを評価し、優しいまなざしを向けるのだが、アルネは、歳の近いこの弟、妹たちともっと親密になりたかったのだ。ただ、それが願いだったのだが。
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