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勝利投手の表紙。ぷぷぷっ。なかなか、派手でしょ。
文藝春秋社『日本の論点2009』(2009年1月刊)470ページ所収
『家族から個人にシフトした消費のかたちが、親族の再生産を放棄させた』
内田 樹 著
町内会の役員に選出されてしまった。
選出されたというよりも、各戸回り持ちなのでとうとう順番が来た、だけの話なんだが。これまでも小さな役員、たとえば何とか委員、何とか係は毎年のように引き受け、大した仕事もなく適当に捌いていたけど、今回は副会長兼会計(なんで兼ねるんだろう)という大役なのである。これまで回避されていたのは、ひとえに、ウチの父亡き後、母は高齢、私はまだ青二才であるというだけのことであった。
ある晩、帰宅すると母が言う。
「川崎さんが引継ぎしたいし時間決めまひょ、って電話してきゃはったえ」
川崎さん(仮名)は前任の方である。
「ほんで?」
「まだ仕事から帰ってまへんて言うたら、へ、そない働いたはりまんのんか、やて」
私がどんな日常を送っているかなど、町内会のお歴々がご存じのはずがない。私は笑ったが、母は憤懣やるかたない。「あんたのことをそこらのヒマそうな奥さんやらとおんなじように思たはる」
いいよ、一度こういう忙しい人間に役員させてみるのも。滞りなく済めば今後多忙を理由に断ってきた人たちも引き受けざるを得ないだろうし、逆に全然お務め果たせなければ二度とあたしには頼みに来ないだろうし。そういう意味のことをいってはみたが、母はほとんど聞いてはいない。町内役員会といえば飲み会と同義語だったので、のんべの父は毎年何かしら役員を引き受け役員会と称しては出かけて朝まで帰らなかった。父の行状は凄まじく(いや、上には上がきっとあるだろうし、いずれにしろ今となっては単に笑い話なので内容は書かないが)、母にはそれが、今の言葉でいえばトラウマになっている。でもさ、あたしが同じ行動するわけないでしょうが。
もうひとつは、私が日中ほとんど留守にしているということはけっきょく自分が全部代理で応対しないといけないではないかという不満が母にはあるのである。ま、そりゃたしかにそうだから、申し訳ないんだけど。
「チョーちゃん、会計やで」
「お金預かるだけ?」
「だけ、やないけど、まあ、そんなもんや」
「ならいいけど。あたし、朝から晩まで家にいいひんよ」
「お母ちゃん、おるがな。まだボケたはらへんやろ」
総会での役員決定に際しての会話である(笑)。
私の母がまだボケていないということが決め手となったのである。
町内会の面々の中には町内会費をジャラジャラと小銭でひと月ごとに持参する人もあれば、一年分をまとめて封筒に収めて納入される方もいる。いちおう、「町」の下部組織として「隣組」というのがあって、組ごとに取りまとめるのが決まりだが、日中全然いない独身さんなどから徴収する手だてがないときなど、会計役がじきじきに「はよはろてや」と言いに行かなくてはならないとか、挙げだすと小雑用がやたらあるのである。
「チョーちゃんのお母ちゃん、そんなん全部やってくれはるやろ」というのが長老方の一致した意見で、だったらあたしじゃなくて母ちゃんを任命すりゃよさそうなものだが(笑)。
一緒に役員を務める面々は、一度は町内会長をもう務めた、というおっちゃんたちである。直近の会合では、「わしが会長してたとき」のエピソード披露会であった。結城さん(仮名)のおっちゃんが会長のとき、前代未聞というほどお葬式が多かった。
「あの年、ぎょうさん見送ったけど、それでも敬老会員減らへんなあ」