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と誰かがいったが、他界された方々の多くはすごく高齢の、お迎えが来るべきしてきた人たちだったが、私の父もその年に亡くなった。なので、この手の話が出ると必ず「チョーちゃんのお父ちゃんが一番若うで死なはった」と誰かが言い、早すぎたと別の誰かが言い、涙ぐむおっちゃんもいたりする(笑)。オヤジは幸せなヤツだといちいち思わざるを得ない。やんちゃの限りを尽した親父の若い頃を知る人が、まだ町内に多く残っておられる。
私には配偶者がなく、したがって、新しい親族というものを生産しなかった。しかし子どもは産んだので、その子どもから「親族の再生産」がまた形成されるかもしれない。
たしかに私は親族なんてどうでもいいと思って成長した世代である。内田さんは、消費行動の活性化という「国策」のために家族の構成員は親族の再生産を放棄し、結果家族は解体し社会も解体されようとしている、ということを書いている。だからみんな結婚しろそして産めよ増やせよということを主張しているわけではない。
私のように、積極的に親族というものを無視した人間が大きな顔をして社会に胡坐をかいていられるのは、《圧倒的多数が親族制度を存続させているからである。》(471ページ)
一部の人間が、親族なんて要らないわ、という生き方ができるのは、親族という集団をモデルにしたあらゆる社会集団によって世の中が成り立っており、その制度の内部で生きているからである。親族なんて要らないといいながら、それでも人は人を愛する。大切に思う人と長い時間を共有したいと思うようになる。あるいは教え子の出来・不出来に責任を感じたり、ダメな部下を一人前にしなきゃと思ったり。訃報を聞けば葬儀に出られなくても通夜には行かなきゃとか弔電の文面はとか、思いをめぐらす。
《私たちは「扶養する」ことの有責感や「弔う」ことの重さを親族関係を通じて学ぶ。「傷つく」ことも「癒される」こともそこで学ぶ。》(473ページ)
私は身籠ったとき、家族の次には近しい親戚に打ち明けた。まず親族を味方につけなければという本能が働いたのである。盆と正月に会うか会わないかの人たちだったが、とにかく知ってもらわなければと考えた。そしてついでに使い古しのベビー用品などもゲットした(笑)。出産して退院して、腕に赤子を抱え帰宅した私に最初に遭遇したのは町内の面々であった。みんな、文字どおり開いた口がふさがらず仰天していたが、その次の瞬間には口々におめでとうを言ってくれた。私が仕事をしている間に子守りをする両親に、誰もが声をかけ、赤ん坊を一緒にあやしてくれた。
《「成熟」や「共生」(中略)といった概念はすべて親族制度の内部で発生し、経験された心の動きやふるまいを親族関係以外の関係にも比喩的に拡大したものである。(中略)「愛」や「嫉妬」といった情緒が単体で存立しているわけではない。親族制度の内部で、私たちはそのような人間的感情を学習し、それをそれ以外の場所に「応用」するのである。》(同)
とても当たり前のことなんだけれども、当たり前のことをこうして議論しなければならないところに、この国の危うさがあるのだろうと思う。私だって、子どもを通してしか、実感もできなかったし、今こうして「当たり前」だともいえなかったであろう。同様に結婚して初めてこういうことの意味がわかった人もたくさんいるはず。危ういところまできているけれど、立て直すことができるかどうかは、「結婚や子育てを通じてようやく理解した」私たちの世代が、「親族を形成すること」を次世代にいかに継承するかにかかっている。
《親族を形成することと成熟することが同義だからである。》(同)