ウチよりいいもの食べてるかも
2008-11-06


『TOKYO 0円ハウス 0円生活』
坂口恭平著
大和書房(2008年)


9月になってようやく私に回ってきた本書。誰かが、あまりの面白さに返却しないで止めてたのか、よくわからないがずいぶん時間がかかったものである。この本を待っていることについては5月に書いた。
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『ホームレス中学生』は小池くんが主演で映画化されて、ウチの娘はそっちも観たくてウズウズしていたが、いっときのことで、ぱたりと言わなくなった。
この本には、主人公の父親がその後どうしているのかの記述がまったくなく、娘にはそれが腑に落ちないのである。娘の友達たち(←こういう表現って変だと思いつつ、「友人たち」と表現するにはやつらはまだ子ども過ぎる)は主人公が母親を想起するところで泣けたと言ってたというし、中学の先生の一人は人の温かさに泣けるだろうと嬉しそうに言ったという。

「泣くような話とちゃうで」
という娘の言に賛成である。

ウチの娘は圧倒的に読書量が足りないので、行間を読むとか背景を推理するとかそんな芸当はできない。書かれたものを額面どおりに受けとめるだけで精一杯だ。とすると、その程度の読解力の人間にとっては『ホームレス中学生』の文章は大変に表現力に欠け、深みが足りない。はしばしに、下手な芸人の笑えないネタそっくりの、話の流れとは関係のない落ちないオチが散見され、目障りである。(泣くような話ではないが、同時に笑える話でもないのが辛い、というのも娘の言)
著者の体験記であって小説ではないのであまり多くを求めてはいけないが、それを差し引いても読み応えがなさすぎる。
ただそれでも編集者の苦労は偲ばれ、工夫のあとは垣間見える。ご苦労さまである。こんなにヒットしたんだからおめでとうございます、である。

「泣くような話」ではない。その理由について私はそれを文章のクオリティに一因ありと思うが、娘がいいたかったのは実はそこではないだろう。
幼くして母を亡くした主人公の欠乏感、心を占めていた愛情が抜けて空いた穴の大きさ。近親者で亡くした人間は祖父のみという娘にとって、母親を亡くした場合の事態は想像できないのだ。可哀想だろうけれど感情移入まではできない。泣くにはもっと経験が要る。
もうひとつ、周囲が家をなくした彼らを支えるという親切な行為については、逆に自分の住む地域なら容易に想像ができるので、べつに失われた美習でもなんでもないだろうと思うから、そこに引っかかって泣くようなことはないわけである。

さて、『ホームレス中学生』の「罪」は、「ホームレス」という言葉に対し、何の問題提起もしなかったことである。「家」とは何なのか。家のない状態とはどういうことなのか。この国にはこの名称で十把一絡げに扱われる人々が山のようにいるはずで、行政はそういう人々を巨大ほうきで一掃することしか能がないが、そうした事実について、一度でも、『ホームレス中学生』をはやしたてるメディアが語ったことがあったのか。
ない。
この本の背景では、育ち盛りの子ども三人を抱えた父親が袋小路に追い詰められて家族を解散しなくてはならなかったのだ。日本の社会が抱える病理を、議論したり、してないだろ。

……そういうことにカリカリしている時に、本書『TOKYO 0円ハウス 0円生活』はバサッと冷水を浴びせてくれる。
前置きが長くなったが、本書は「達人ホームレスの暮らしの知恵」とか「驚きのエコアイデア、驚きの省エネ裏技紹介」、とでもキャッチをつけたくなる内容だ。
著者は、住所を持たない人々すなわちホームレスの「家」を訪ね、観察し、その優れた構造と工夫に舌を巻き、彼らの生活力に喝采を送る。

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[ルポルタージュ]

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