行かないで
2008-08-30


『カブールの燕たち』
ヤスミナ・カドラ 著 香川由利子訳
早川書房 (2007年)


編み物に凝ってセーターだのカーディガンだのを量産していた若かりし頃、菊地さんというニットデザイナーの本を買った。それはパリ・ミラノ・カブールという副題がついていて、イカしたニットを着たモデルが砂山を背景にして立っているのが表紙だった。
それはカブールでのロケだったのだろうか? 私にはまったくわからない。ただ、その本を買った頃の私は欧米とアジア、そして少々のアフリカ、程度にしかよその国について知識も関心もなかった。中東諸国というのはオセアニアや南米に同じく好きも嫌いもなく意識の外にあった。カブールというのがアフガニスタンの首都だということはわかっていても、そのえんえんと砂ばかりの土地にたつモデルの着るニットがカブールをイメージしているものだというのはなかなかわかりにくかった。カブールを知っていれば、こりゃイメージ違うでしょ、とか、アフガンのテイスト感じるね、とか言えるんだが、何も知らないのでわからない。ただ、その本の中にある「パリのニット」「ミラノのニット」の諸作品に比べて「カブールのニット」は抜群にステキに見え、それらを編みたいからこの本を買ったことは間違いがない。

でもその後カブールについて私のイメージは広がることなく、知識は増えることなく、菊地さんデザインのカブールのニットを編むのは挫折したまま、現在に至る。その間、かの地ではソ連の侵攻や内戦や遺跡の破壊や空爆があって国土も人心も荒廃しきって、改善の見込みがないまま現在に至る。

そのアフガニスタンで、日本人青年が殺された。あまりに悲しい出来事だ。アフガンの農民のよりよい暮らしのために全力を尽くしていた人なのに。本人の無念は、ご両親やご兄弟の悲しみは如何ばかりか。心から冥福を祈りたい。
新聞は、NGOも今後は活動の拡大に慎重にならざるを得ず、人道支援活動が畏縮してしまうことを恐れる向きもある、などといっている。

私の知り合いの友人という人の古い話なんだけど、知り合いから「もう十年以上前の話なんだけど」と、十年くらい前に聞いた話だけど、中東を旅していて拉致され、見せ物小屋に売られてダルマにされた、というひどい話。
ダルマにされたというのは、つまり両腕両脚を落とされて台の上に置かれて見せ物にされていたという……。その人は生きて発見されたので、現在はどうされてるか知らないけど、ご両親のもとにとにもかくにも戻ったということだった。それにしても……想像を絶する。

旅情をそそる場所であるのは事実だ。そして何より、助けを必要とする地域である。上の出来事と、今回亡くなった方を一緒にしてはいけないが、行きたい、行かなくちゃという思いに駆られるのは、旅好きの私にはとてもよくわかる。

タリバンは外国人を全員追い出すまで皆殺しといっているらしい。それは誇張でなく真面目な方針であると伝わる。人や生き物や命や歴史の証を傷つけ打ちのめし叩き潰すことをけっして罪深いとは思っていないのだ。
もう誰も、行かないでほしい。

アフガンの、カブールの様子がよくわかるのが本書である……というわけではない。
『カブールの燕たち』は恋愛小説である。
タリバンの圧政下にあるカブールが舞台だから、物語は現況自体が異常である。街は狂気を孕み、人は互いの腹を探りあい、いらつき、悶々とし、物理的にも精神的にも爆発寸前の都市。毎日のように公開処刑やリンチがショーのように行われる。

毎日に嫌気のさしている二人の男と、それぞれの妻。二組の夫婦の、互いの愛情と誇りと絆のありようが、物語の後半で交錯する。簡単にいうと一方の男が他方の妻に惚れてしまい、男の妻は咎めもせずにそれを応援するという、動脈部分はよくある変な話なんだが、ここはカブールであるから、かなり考えながら読み進まないといけない。その読解の過程が面白い。


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