【負け犬譚(2)】記憶の凄さ
2008-08-27


Magnus
par Sylvie Germain
Edition Albin Michel, 2005
Prix Goncourt des lyceens 2005

(邦訳:『マグヌス』
 シルヴィ・ジェルマン著 辻 由美訳
 みすず書房、2006年)


フランスには《高校生ゴンクール賞》なるものがある。
文学賞には洋の東西を問わず全然詳しくないのだが、フランスのゴンクール賞といえば日本でいう芥川賞のような、国を代表する文学賞のはずである。それに「高校生」という冠詞のついた賞があるのだ。
実は、これ、全国の高校生がその年に出版された文学の中から、これぞ僕たち私たちが読みたい文学だと選んだ作品に与えられる賞なのである。

こういう活動があるというだけでも彼我の隔たりに意識が遠くなる。
今のニホンの高校生に、優れた文学作品を選ぶ気概があるか?
選ぶということは、まずは読まなくちゃいけないのだよ。読んでるか、君たち?
ホームレス何とか、とか、ケータイ小説の○空、とかがものすごい勢いで売れて読まれていることを考えると、若者たちにあまり「本」は読まれていないといっていいだろう。

と偉そうにゆっているが、そんな賞があることは知らなかった。
はっきり言って、フランスの若者たちだって日本とそう変わりないと思ってるし。若者に限らず、大人もね。
ともあれ、高校生たちがあまりに真剣に選ぶので、この賞はますます権威あるものとされているらしい。本家のゴンクール賞よりも高校生ゴンクール賞がほしいという輩までいるそうだ。

Prix Goncourt のあとに、des lyceens と続くのを見て、ゴンクール賞のヤングアダルト部門かなと思ったけど、そうじゃない。『マグヌス』は児童文学でもライトノベルでもYA小説でもない。第二次世界大戦の傷痕を、どうあがいても立ち現れない消えた記憶として描いた一編である。

この賞のことや、作品の内容を読んで、またしても私は「これを私が訳さずして誰が訳すのだ!」と意気込んだが、調べたときにはすでに翻訳出版が決まっていた。戦わずして負けましてん。

「マグヌス」とは、「病気のため」五歳で記憶を喪失した男の子が肌身離さず持っていたぬいぐるみのクマの名前である。男の子には、なぜ自分がこれを片時も離さないのか、その理由もわからない。母からは「勇敢な家族」の軍功ばかり聞かされ、純真にそれを誇りに思っている。医師の父は町の有力者であり人望厚く、国家の重要人物だと信じていた。男の子は父を愛していた。
舞台はドイツ。町を不穏な空気が支配し、やがて、男の子は事情も説明されないまま、母とともに「引っ越し」、名前を変えた。わずかな平穏のあと、父は「仕事のため」国外へ脱出すると告げにきた。その後メキシコへ渡ってのち自殺したとの報が入る。疲れた母は、英国に住む実兄に男の子を託して絶望の中で死に至る。
伯父の家に引き取られ、再び名前を変えた少年は、自分のものと信じていた記憶が母親による作り話であったことを知るに至り、真実を求めて長い旅に出る。舞台はメキシコ、米国へ。一度英国に戻った後、彼は伴侶を得てウイーンへ向かおうとするが……。

自分はいったい誰で、どこからきたのか。
クマのマグヌスだけが、唯一の過去の証し。しかしそれさえも、不当に歪められていた。
呼び覚まさなければ、もしかしたらそれなりに穏やかな人生が待っていたかもしれないのに、主人公は未熟な瘡蓋を引き剥がして傷を抉る、さらに深く。癒えかけたらまた引き剥がし、を繰り返して、記憶の底の炎の叫びに触れようともがく。

「小さな本なのに、十冊も読んだようなこの印象はどこからくるのだろう」と評したのは、他でもない選考にあたったリセアンたちだそうだ。
戦争の記憶が風化しつつあるのはフランスも同じこと。いっぽうで今なお、フランスは「戦犯」たちの調査と糾弾の手を緩めてはいないのも事実である。

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