2008-08-26
舞台はアメリカのカンザス。17歳のレスリーはボーイフレンドを持った経験のないことに劣等感を抱いている。私を愛してくれる男の子なんて現れるのかしらと不安だ。一方で、レスリーはそれどころではない。母は体調や精神状態が不安定になることが多く、レスリーが家事をしなければならないことがよくあった。母のために家族は幾度も引っ越しをした。だが高校卒業を控え、レスリーは今どこにも引っ越したくなかったのだが……。やがてレスリーは、母が少女時代のおぞましい体験によってひどく心を蝕まれていることを知る。彼女に献身的に尽くす父。背伸びして自己主張をする妹。家族は母を必死に支えようとする。なのに恐ろしい事件が起きてしまう。レスリーは、母が思い出をたどってよく口にしていた「ひまわりの森」を見に行こうと決意する。
第二次世界大戦の傷痕がレスリーの両親を支配している。私たちが広島と長崎の記憶を風化させないよう懸命になるのと同じで、いや、それよりもずっと強い意志で、欧米の人々は、ナチスの蛮行に代表されるあの戦争の残した亀裂や断絶や癒えない生傷、継承される悲痛を、あらゆる方法で書き残そうとしているように思える。本書も然りだ。
読むのはかなり辛いけれど、戦争の要素こそが物語に厚みを与え、読めるものに仕立てている。もし本書にそれがなかったら、かなり退屈な物語に成り下がっていたであろう。
後半、レスリーは長い夏休みを利用して旅をするが、滞在先での彼女の心情の変化にしろ、彼女の世話をする人物の心模様にしろ、少し息切れがしたのかなと思わざるを得ないような粗さを、その描き方に感じる。ただ、レスリーをカンザスからヨーロッパに大きく移動させたことは悪くなかった。
カンザスという場所は私にとって『オズの魔法使い』のイメージしかないので、荒涼としていて広すぎて、密な人間関係を想像しにくい舞台だ。広い場所、広い土地、広い道路、広い空。長い夏休み。アメリカのだだっ広さは、やはり小説を理解するのを妨げてくれるよ。
ともあれ、なんだかでかいところ、というイメージの場所から一転させることで読者をひっぱっている。ヘイデン自身、力を込めたところであるらしい。
結果的にたいへんな大作だが、たぶん、全体的にレスリーの恋や妹のエピソードなどはもっと削いでもよかっただろう。そうすれば、母の病める心と、その母を愛し抜く父の心がもっと際立って読む者の心に届いたに違いない。
母さんの愛したひまわりの森へ、みんなで行こう……レスリーは幾度となく父に訴える。だが、レスリーのひまわりも、母親のひまわりも夏の蜃気楼だった。「ひまわり」は人物の記憶と想像の中で巨大な救世主のように神話化され、消え去る。
私の愛するひまわり――清く正しくおおらかな――とはまったく異なるひまわりの描き方に、しばし呆然とした。
街路樹脇に植えられたひまわりがこうべを垂れていた。夏がゆく。
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