続・夏がゆく

コメント(全4件)
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儚い預言者 ― 2008-08-27 11:08
人生の夢は思春期の過大なる胸の轟きに圧倒されるのだろうか。確かにそうだろう。開く心の扉のなんと豊饒な光。それはかつ闇も共に忍び寄せるのだろう。一方だけでは生にならず、両方では生に屈する。この渦のような、もがけばもがくほど質、量ともに増えるけれど、その消化と昇華に、生の価値があるように思うのは客観的な傍観的な「ひとごと」になってしまうのだろうか。

  うつしみの
  わたしあなたの
  ゆめぶたい
  いきはきかけて
  あなたのいきを

 向日葵はいつも太陽を向く。それは生き物としての夢の具現である。沢山の種を播くことに、いのちの全てを懸けて。それは生きることの生きることを生きるすべを生きる夢という生きる輝きをそのままに、そのままでそのまま生きる。生きて生きて。

 告げるのは何もなく、伝えるのも意味もなく、ただ表して現して。幾千の解釈は不要だ。ただ喜び悲しみ苦しみ悩む。その明らかな生の輝きに、向日葵は太陽に向かう。
midi ― 2008-08-27 18:17
あのじれったさ、くすぶる思い、ぶつける先のない感情の爆発。そういうものを人はいつのまにかすーっと何もなかったかのように忘れて大人になってしまいますね。
そして私の場合、今いちばん身近に思春期を迎えたひとりの人間がいることの不思議さに酔いつつ、彼女を大人になるまで忍耐強く見守ってやれるかどうかまったく自信がないのでした。
儚い預言者 ― 2008-08-28 20:07
誰でも親は子によって成る。誰も初心者。経験というのは、知識であるが、本当は命の息吹の、前面に出てきてはいけない底辺にあるべきことがらだと思います。
 真実はいつも今、それは誰もが未知でありながら、行く方向を指し示せる唯一の場。そこに過去は偉大な遺産でも、息づかすのは知識ではなく、本来人間がもっている限りなく本能に近い知恵だと思うのです。
 自信ではなくて、信頼です。自分への。そして本来の人としての。自信はバランスです。多くても少なくても状況との親和が取れない。

 と書いていて私自身、親ということに為っていない事を痛感いたします。
midi ― 2008-08-29 14:24
おっしゃるとおりですね。親って子どもに親にしてもらうんですよね。
子どもがなかったら親でいられないもん。でもつい、なんだ親に向かって偉そうに、なんて、最初から自分はこの子の上に君臨してきたかのように思ってしまう自分が浅はかでいとしいです(泣)。

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