無駄な抵抗と知りつつも
2008-02-28


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初めて読んだときから三十年くらい経つけれど、『無常という事』『私の人生観』、両方とも、実は二十年くらいの間ダンボール箱に入って物置で眠っていた。何年か前、物置きを整理し、さすがにこれは要らないな、というかなりの数の本を古書店に処分したが、この二冊は手離せなかった。そのときに上で書いたようなことを感慨深げに考えたわけではない。ただ、私の手が、これらの本を「古書店行き」と書いた段ボール箱には入れずに、書架に並べ直しただけである。そのとき、ぱらぱらと、変色したページをめくり、そこに並ぶ小さな古い活字がとても懐かしかったけれど、数行をたどってすぐに、ああやっぱり、じっくり腰を据えて読まなきゃダメだよなと、ため息ついて書架に押し込んだのだった。

ところがいま、小林秀雄の何度目かの読み直しを、私は試みている。その気にさせたのは、あの人である。(コマンタさん、わかるでしょ?)

小林秀雄について、いえることはあまりない、と書いたけど、ひとついえることがある。
本書『無常という事』に納められた彼の肖像写真は、なかなか渋くてカッコイイ。ダンディなオジサマ然としていて、こういう男も非常に美味しそうに感じたはずなのである、十代の私は。無駄な抵抗と知りつつ小林秀雄に食いつこうとしたのは、彼がええおとこだったからにほかならない。

《ぼくは、星を見たり雪を見たりして夜道を歩いた。ああ、去年の雪何処に在りや、いや、いや、そんなところに落ちこんではいけない。ぼくは、再び星を眺め、雪を眺めた。》(『当麻』より 本書59ページ)

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