「ゆ」音のここちよさ
2008-02-27


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『中原中也詩集』
河上徹太郎 編
角川書店 角川文庫(1968年改版初版、1979年改版24版)


高校の終わりごろからアングラ劇団に入れ込み始めて、その究極ともいえる寺山修司の世界にどっぷり浸かろうとしたのが大学生になってから……。でも、時すでに遅かった。寺山修司は1983年に亡くなってしまう。同様にどっぷり浸かっていた唐十郎の状況劇場は健在だったけど、私たちは心の支え棒を外されたように虚ろになり激しく落ち込み、親が死んでもそんな顔はしないだろうというような服喪中モードで授業に出た。寺山とほぼ同世代の教授たちも少なからずショックを受けていたようで、「これでひとつの時代が終わったってことだな」みたいな発言をしていたのを憶えている。演劇実験室・天井桟敷の公演はたった一度観た(寺山の追悼上演はその後何度もあり、幾度か足を運んだ)。私は、芝居は状況劇場のほうが好きで、寺山作品はどちらかというと映像のほうが好きだった。人力飛行舎だったか実験飛行機だったか、そんな名前のついた彼の映像作品群はどれも、関西弁でいうと「けったいな」「なんやようわからん」ものでありながら、胸にジーンと沁みてきて、払拭不可能な残像を刻みつけてくれるのだ。
寺山の長編映画作品も、そうした印象の延長線上にある。彼の長編は先に『ボクサー』を観た(これが私の「初」寺山だったが、観賞当時はその意識はなく、主演の清水健太郎が好きだったのである)。その後『田園に死す』も観て、とにかくこういう映画でないと受けつけない身体になろうとしていた、それを自覚しつつあったとき、『草迷宮』を観た。「こういう映画でないと受けつけない」、『草迷宮』を観つつそのことは再確認したんだが、同時にこの映画は「こういう映画以外だって観ていける」ように私に道筋をつけてくれたのである。なぜならそのスクリーンには若き日の三上博史がいたからだ。
撮影時に15、6歳であったろう三上クンは、主人公「明」を演じて美しすぎた。色っぽすぎた。私は、私以上に寺山フェチの女友達とその上演会場にいたが、二人して垂涎とどまるところを知らずという体(てい)であった。寺山の映像美を堪能した以上に、私は三上クンに完全ノックアウトされた。友達のほうは、終わってしまえば俳優陣のことなど忘れたようだが、私は彼女とは異なり、寺山修司を引きずるのを止めた。三上クンは(三上博史さん、失礼。私はずっとこう呼んでいるのです)『草迷宮』で注目されたのか、その後しばらくして一気にスター俳優となった。メジャー扱いされると距離を置きたくなるという哀しい性(さが)で、人気者になった三上クンなんか見たくなかった私は、三上クンの動向を追おうとしなかった。

ある日、中原中也を描いたドラマがテレビで放映された。(注:かなり昔です)

私は中也の詩が好きである。はっきり言うが、何を歌おうとしているのかわからないもののほうが多い。それでも好きになったのはたぶんクリクリおめめの中也の肖像写真のせいである(可愛いもん)。中也を知るきっかけは、学校の国語の授業に違いないが、教科書(もしくは参考書)に採用されていたのが「サーカス」だったか「汚れっちまった悲しみに…」だったか忘れたが、この二つの詩が好きで、中也の詩集を文庫本で買い求めた。

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