人は見かけ、じゃなくて文章によらぬもの?
2007-03-28


3月25日にお目にかかった面々について、感想を述べよう。
※注 紹介順は男性のみ年功序列。

【【儚い預言者さま】】寛仁大度
最も待ち合わせ場所に近いところに住む身でありながら、いちばん最後に到着した私に、mukamuka72002さんがぱぱぱっと手早くこちら○○さんですこちら○○さんで○○さんで……と紹介してくださった。が、えっえっえっっ?と状況および人物を把握しないうちに店内へ。座席をあみだくじで決めましょうという鹿王院知子さんの提案。ある紳士が「僕はここ」とおっしゃった位置に鹿王院さんが「な」と書き込まれたので、その紳士を儚い預言者さまだとはっきり確認できた。できたが確信できなかった。もしかしてドッキリかもしれないし(んなわけねーって)。
だって、到着してからmukamuka72002さんが私を振り向くまでのほんの0.05秒くらいの間、私は「あれ?こないだあった町内会の会合の続きだったっけ?」と思ったほど、儚い預言者さまは我が町の前年度町内会長さんと雰囲気が同じだったのである。前年度町内会長にそっくりな紳士がこの場におられても不思議はないのだけれど、前年度町内会長にそっくりな紳士=儚い預言者さま、という事実はにわかに受け容れがたい事実であった。ひそかに「ひらがなの紡ぎ手、ことばの組み紐職人」とお呼びしお慕いしている儚い預言者さまである。実は我が町には組み紐職一家が住んでいて、ご当主は(中身はそんなことないんだけど)髪と髭の短い仙人、という風貌で、勝手ながら私は、儚い預言者さまのイメージをどちらかというとその組み紐仙人に重ねていたんだけれど、違ったのだった。組み紐家の向かいに住む前年度町内会長だった。
儚い預言者さまの席は、私の真向かいだった。食事と酒が進むにつれて座が和み、各々の舌が滑らかになってくる。儚い預言者さまは、誰の言葉にも耳を傾け相槌を打ち、寒い冗談も豪快に笑い飛ばす寛容を見せてくださったうえ、息子さんのスポーツマンぶりをいとおしくてたまらないといった様子で語られる「人間らしさ」もご披露くださった。
儚い預言者さま、あなたの創作への思いをもっともっと聞きたいです。口説き文句は次回にとっておいてくださいね。

【【コマンタさん】】円転滑脱
mukamuka72002さんが到着した私に「こちらがマロさんです」とおっしゃったほうを向き、ああ、このかたがつねづね私の文章に鋭い指摘をくださるマロさんねと思うと同時に、娘の通う小学校の(フェミニンでソフトな風貌ゆえにイケズな女性校長からイジメられていると評判の)PTA会長さんとビジュアルイメージが重なったこともあって、思わず「いつもお世話になっております」とお辞儀をしたらそのかたは、「いえ、僕はコマンタです」とおっしゃった。そしてやはりドッキリではなく(あたりめーだろ)本当にそのかたはコマンタさんだった。
文章塾やブログを通しての、コマンタさんの発言にはいつもいつも励まされている。ご本人はどの程度意識されているかはわからないけど、コマンタさんのひと言というのは、核心を突くこともあるし、外から薄皮を一枚めくるだけでありながらそこはいちばんめくられたくないところだったりもするのだが、目から鱗の思いをさせられたり、がーんと脳天に響く一撃だったり、心の深奥に直接届く花束だったりと、もはや私はコマンタさんという刺激なしでは生きていけない。
コマンタさんのことを「文節のソロヴァイオリニスト」と呼んだら異を唱える向きはおられるだろうか。あるいは『セロ弾きのゴーシュ』になぞらえて「文節のソロチェリスト」? 私は、彼の文章からいつも弦楽器の音を感じる。しかも重奏ではなく独奏の。
刺激をくださるお礼と文章への憧憬の気持ちを伝えたかったのに、私はどきどきしたまま、ベタな発言に終始して、何もいえなかった。

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[どうらく]

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