2007-03-22
「よう目ぇ凝らして見はらんとあきまへんえ。ほれ、もっと窓に寄りなはれ」
「そやけど、向こうに気づかれんのちゃいまっか」
「どうもおへん。この板硝子、細工がしたあるさかい、外から中は見えんのどす」
辰吉は硝子に鼻がぶつかるほどに、窓に身を寄せ、通りを挟んだ向かいの家を凝視した。
向かいは釜を商う老舗、凝った意匠の虫籠窓は元禄の頃の匠によるとかで、代々の自慢の種である。先々代までは羽振りがよかったが、先代に商才がなかったのか一度は使用人がみな暇をもらうほど落ちぶれた。しかし、厳しい修業を経て戻った今の当主が暖簾を継いでから何とか体勢を立て直し、徐々に勢いを盛り返しつつある。当主はもう中年といっていい年頃だが、妻はなかった。
蘇芳の襦袢はかろうじて腰紐にひっかかり、肩や太腿が顕に白く光る。両の手と足首は縛られて、口には閉じた扇を銜えさせられている。
ぴしっ。ばしっ。
あうっ。ひいっ。
鞭、呻き。
かさかさ。するする。
はあ、はあ。はう、はう。
衣擦れ、喘ぎ。
辰吉の耳に実際の音は届かないが、頭の中にはいくつもの効果音が鳴り響き、眼前の見世物に迫力を添えていた。
「どうどす。なかなか貴重でっしゃろ」
「御寮人(ごりょん)はん、いったいこれは……」
「釜庄の若、商いが具合よういくまでは、いうて何年も女断ちしゃはったらしいんどす」
「女断ち、でっか」
「お向かいは、女好きの家系でっしゃろ。無茶どすわ。案の定、けったいなことになって、なあご隠居はん」
辰吉がふと顔を上げると、帯問屋の隠居が慣れた態度で腰を下ろしたところだった。
「木内ぁんの若。あんたも修業のためやいうて女断ちなんぞせんといとくれやっしゃ」
「いやあ、わては……。向かいの旦さん、どんなけったいなことにならはったんどすか」
「商いが持ち直して、晴れて女断ちから解放されて嫁をとったんやが、今度は肝腎のモノが立たん、ちゅうこっちゃ」
「あらま」
「ほんで嫁に逃げられて、頭おかしなってしもて、折檻癖がついてしもたらしいで」
「ご隠居はん、順番逆どすえ、立たへんさかいに嫁がきつう拗ねたら、それが可愛(かえ)らし過ぎるやないか、いうて、折檻したんどす。変態どすがな、そんなん、なあ。そら、嫁も逃げますわな」
「いま叩かれてんのは誰ですねん」
「寂しいさかいいうて、養女とらはってな、その娘が年頃になったらこの有様どすわ」
話しながらも辰吉の目は、例の光景に釘づけであった。娘の姿は蘇芳の襤褸を巻きつけた白蛇のごとく、男の腕がひと振りされるたびに、くねくねと、妖しく身もだえした。
「木内ぁんの若がよってくれはんにゃったら、ここへ通うの楽しみになりますな。わしのほかには、ほれ、紋の杉下の隠居と今の旦さん、ほんでここの旦さんだけやさかいにな。お宅の先代が元気でいてくれはったら先に誘てたんやが」
「御寮人はん、ここの旦さんは、いつこれを……」
「もう、二、三年前どっしゃろか。びっくりしましてなあ、ほんで、あんた、すぐにこっちの虫籠窓の内側の硝子、替えましたんや」
「ほんまに、ここの旦さんは機転が利く。商売が繁盛するわけや」
帯問屋の隠居が、くっくっくと喉で笑った。
「ああっご隠居、あれ」
「若、見ものは今からでっせ」
鞭を離した男が白蛇に覆いかぶさった。男の口から長い舌が伸び、娘のうなじから細かく丁寧に舐め始める。
ぺろぺろ。ぺろぺろ。
辰吉は背筋に悪寒とも快感とも区別しがたい痺れが走るのを感じた。
肩、二の腕、脇、背中。
ぺろぺろ。ぺろぺろ。
ひっくり返して喉元、乳房、腹、
ぺろぺろ。ぺろぺろ。
また返して尻、太腿、脛、足の裏
ぺろぺろ。ぺろぺろ。
今度は男が大蛇のようである。
「あの舌戯はたいしたもんや。見習いたいもんやが、もうちっと若うで見せてもろとったらなあ」
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