Ecrire
2014-05-31



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『エクリール 書くことの彼方へ』
マルグリット・デュラス著 田中倫郎訳
河出書房新社(1994年)


実をいうと、デュラスをほとんど読んだことがなかった。
あまりに大家すぎて、私のようにそもそも小説に興味のない人間が、ちょっとばかしフランスをかじったからといって読むのは恐れ多かった。私の持っていた印象では、フランソワーズ・サガンよりも「情念」の濃い人が、デュラスだった。フランソワーズという名前はなんとなく(全世界のフランソワーズさんごめんなさい)軽薄な感じがし、マルグリットという名は情熱的な感じがするのだった。
でも、私はそんなにフランソワーズさんもマルグリットさんもたくさんは知らないから、この「感じ」は、それぞれの作風に拠るものだ。作風といったって、サガンは短編集だけ、デュラスは『インディア・ソング』しか読んでない(しかも当時はじぇんじぇんわかりませんでした。笑)のだから作風を云々する資格なんかないのだが、サガンは都会の曇り空、デュラスは田舎の灼熱の太陽、みたいな。


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《私が孤独になるのは家の中にいるときよ。家の外じゃだめで、家の中に閉じこもっているときね。庭だと、鳥や猫がいるでしょ。》 (「書く」9ページ)

なんで「よ」とか「ね」を語尾につけるんだろう。「でしょ」とか、なによ(笑)。そういう情緒的な文章なのだろうか。なんだかなー。いえ、田中先生の訳にケチつけたりしませんよ、けっして。それを差し引いても、デュラスの魅力を伝えて余りあるもの。

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デュラスは、書くことは孤独だという。というより、孤独でなければ書きえない、といっている。孤独であることは、書くことに必須だと。

《書くことにともなう孤独というのは、それがなかったら、書きものが生まれないか、なにを書こうかと探しあぐねて血の気を失い、こなごなになってしまうようなものよ。》(「書く」11ページ)

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《本を書く人間のまわりにいる人たちと離れていることが常に必要なの。それが孤独。作家の孤独、書きものの孤独よ。(中略)肉体のこの現実の孤独が、侵すことのできない、書きものの孤独になっていくのよ。(中略)レイモン・クノーが下した唯一の判断はこの言葉よ、「書きなさい、それ以外のことはなにもしなさんな」。》(「書く」12ページ)

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