Avril
2014-04-30



ロートレックが好んで描いたのはジャヌ・アヴリルという名の踊り子だった。
西洋美術史か、あるいは美学概論か、そんな名称の必修科目が美大にはあり、その学年末レポートのために、私はひたすら最愛のロートレックについて調べていた。
彼の人生はとても短かった。短かったけれど、まるで自分の人生の短いことを最初から知っていたように彼は踊り子たちを描きまくって愛しまくって果てた。作品によく登場したのはラ・グリュとジャヌ・アヴリル、そしてイヴェット・ギルベールという歌手。ロートレックのポスターは、よく批評されているように躍動感にあふれている、なんて私は思ったことがない。前世紀のパリのキャバレーの、放蕩者たちの遊び呆ける様子だとか場末の空気だとかダンスフロアのむんむんした熱気だとかが伝わってくる、なんて嘘だろう。だって実際のそれを知らないもの。でも、レポートにはそんな嘘八百をしれっと書いて提出して合格点をもらった気がする。
たしかにロートレックは、モンマルトルに通いながら、そこに集う男女を観察し、幾つものスケッチを描き、臨場感あふれる構図でポスターを仕上げた。対象(モンマルトル、キャバレー、踊り子)を深く愛していたに違いない。しかし、趣味で描いていたのでもなければ本能から描かずにおれなかったというのでもない。彼が創ったのは商業ポスターだ。ロートレックは居合わせた人々の中でも誰よりもシビアに対象を視ていた。そして、時間を故意に切り取り、効果的に貼り合わせた。意表をつく構成が功を奏し、パリジャン、パリジェンヌたちの気を惹くことに成功していたのだ。
在学中は何も知らなかったが、卒業してからフランス語を勉強し始めて、ジャヌ・アヴリルの「アヴリル」という姓が「四月」という意味だと知る。そして、そのことじたいが何の意味もないことも知る。姓が四月だろうと八月だろうと本人の生まれ月を表しているわけがなく、苗字が「○月」さん、という人はやたらいるのであった。留学中、寮で友達になった背の高いアフリカの男の子、出身国は忘れたが皮膚は真っ黒だったのでアフリカの中央のほうだったと思う、彼の姓はジャンヴィエ(=Janvier、一月)といった。え、そうなの、あたし一月生まれよ、と言ってみたが、彼は「俺は違うよ」と言った、まるで、なぜそこに絡むんだよとでも言いたげに。

四月が終わる。

月の半ばに宇治の平等院を訪れた。鳳凰堂が美しく塗り替えられて新装開店!という感じである。新装開店だが何のセールをしているわけでもない。ないのにどえらい人であった。ものすごい数の観光客。参拝者というべきなんだろうが、誰も参拝しているようには見えない(笑)。修学旅行生が黒蟻のように集まっていた。まさに行楽日和の美しい春の一日。こんな日に京都へ来られて、みなさま、お幸せね。

入場人数制限をしている鳳凰堂は別料金。受付で訊くと、1時間半待ちといわれたので、やめる。
以前は煤竹色をしていた鳳凰堂だが、べんがらだろうか、きれいに塗られて上品に紅く染まっていた。屋根の鳳凰も金箔が貼られて、青空に映える。きれいである、ほんとに。
とんでもなく行楽客であふれているのにそれをちっとも感じさせないことに成功している幾つかの写真をお見せしましょう。鳳凰堂ばかりですけど。

真っ赤な霧島ツツジと。
禺画像]

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[どうらく]

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