Avril
2014-04-30



正面から。
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枝垂れ葉桜の、枝垂れの隙間から。
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ツツジとともに。
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青もみじの向こうに鳳凰。
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松葉の向こうにも鳳凰。
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宇治へは、在職中にお世話になった知人に会いに行ったのである。宇治市関係の定期刊行物に4年余りかかわった。知人は、私の仕事を過剰に高く評価してくれていた。その刊行物はやがて休刊が決まったが、私が最後の挨拶に行ったとき彼女は人目はばからず号泣した。永久に続く刊行物などあり得ない。いずれどこかで線を引くのだが、どんな時もクライアントに泣かれたことはなかったのでその時は非常に戸惑ったが、でも、嬉しくもあった。

退職したことを報告し、互いの近況を語り合った。似たような年格好なので、同じような年代の親を抱える。おのずと介護の話に花が咲いた。不謹慎かもしれないが、互いの親の衰えぶり自慢というか、ウチはそこまで行ってない、ウチではその点はもうダメ、なんて。子育て中の母どうしが子どもの話題を共有できるのと似ている。かなり似ている。

春、宇治市はかきいれどきである。宇治川沿いの桜が満開になり、つづいて琴坂の山吹が坂道の両脇を、真っ黄色(正しくは山吹色だな)に点描する。そして平等院の藤が花房を垂れ、三室戸寺の紫陽花が境内を青く染めあげる。そうして宇治川の鵜飼の声を聞くと、夏だ。

何もかもが目覚め、芽吹く春。生き物の生命の循環と、人の生活習慣の区切りを重ね合わせ、四月を年度の始まりとし、三月に卒業を祝い四月に入学進学を祝う日本の慣習は、私は悪くないと思う。欧州かぶれ人だったので、いっときは長い夏休みを学年の終わりにして涼しい秋に始まったほうがいいのにと本気で思っていたが、10月になっても夏日が続く場所に住んでいるとそんな考えは無意味だと気づくのである。

ここでは、春も短い。
四月は、花冷えのきつい月でもある。
そしていきなり初夏の陽光に見舞われる。
さまざまな花が咲いては散っていく。
四月は千変万化。

ロートレックを虜にしたジャヌ・アヴリルも、ダンスフロアを出れば生活に疲れたひとりの女だった。見事な足さばきで男たちの目を釘付けにした舞姫の姓が四月というのは、やはり偶然ではないように思えてならないのだ。

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