Fachez-vous, mais avec une facon elegante...!
2013-01-24


禺画像]
『美しく怒れ』
岡本太郎著
角川書店(角川oneテーマ21)(2011年)


太郎が好きである。
古くはウルトラマンタロウ。続いてドカベンの山田太郎。我が家の風呂にはなぜか「太郎と花子」というあだ名がついている。
そして岡本太郎。幼少期に大阪万博を経験した私の記憶にこのうえなく「かっこええもん」として焼きついたのがご存じ太陽の塔である。その頃、何のコマーシャルだったかは覚えてないが、岡本太郎がくっと空(くう)をにらんで「芸術は爆発だ!」と叫んだアレ、アレも好きだった。私の記憶の中で、岡本太郎はいつも背広を来ていたが、いわばそういうまともな恰好をしているくせに、彼は芸術家で、しかもかなり変わった人で、おもしろいモノをつぎつぎに生み出す人なのであった。しかし、岡本太郎の作品は、例の太陽の塔のほかには、ほんの数点、美術の教科書の類いに載っていたか、雑誌に掲載されていたか、印刷物を介して絵画作品を観たことがあるだけだ。タイトルも覚えてないし。しかし、岡本太郎の作品に対し、非常に高い好感を覚えたという、これまた記憶だけだが、残っている。絵を描きたいという思いに駆られ、願わくば絵を描いて生きていきたいという意志を強くもつようになった頃、平凡な自分とヘンテコな岡本太郎との乖離にけっこう絶望した。偉大な芸術家には、変人でなければなれない。そんな誤解を抱きながら、だから普通の私には無理やんかぁとうなだれながら、それでも美術を学んでいたが、歳をとり、絵を諦め、デザインも手放して、それからさらにずいぶん時をおいてから、芸術家たちだってかなり普通の人間なのだなと思うようになったのである。
それは、こんな普通の私にも、私なりの紆余曲折や波瀾万丈や海千山千があるように、特異に見える芸術家の人生、奔放すぎたり苛酷すぎたりだらしなさすぎたりエロすぎたり、といった人生も、凡人のそれと紙一重に過ぎない。
人間として特殊でもなく、人生も特別ではない。ただ、表現者としてコンテンポラリーに評価される術をたまたま身につけていた、あるいは努力して獲得した、どちらでもいいが、つまりは表現者として別格だったのである。
岡本太郎は、表現者としては、芸術作品を生み出すことにおいて超一流だった。

で、今回の本である。
おばはんになったせいか、いちいちアタマにくることが増えて(笑)、気がつくとひとりでぼやいていたりイライラしていたりする。「あああああーーーーったくもおおおおおおおっ」と、主にクライアントからのメールに向かって叫ぶ私。ああ、こんな生活が何年続いていることだろう。いまさらだけど、眉間の皺は、満面の笑顔でいる時でさえ消えないし、芝居がかった作り笑顔でうなずいても、口角はなかなか上がってくれない。しかめっつらでいる時間が増えちゃって、美容にも健康にもよろしくない。わかってるさ。だけど怒るネタに事欠かないので困るのである。楽しく笑えるネタをくれっ。っても、誰がしたのかこんなひどい世の中にって状態だもんなあ、にこやかでいたいのは山々だけどさ、この際あたりかまわずわめき散らすほうが心身の健康にいいかもなあ、なんてぶつくさアタマの中でつぶやきながらうろついていた本屋で見つけたのが『美しく怒れ』。しかも岡本太郎。買わないわけがないざましょ!

「怒らないのは堕落である」
帯のセリフがいいねえ。

しかし。
しかしである。
私は思った。「岡本太郎は文章を書く人ではない」。本書は、太郎が書き下ろしたものではなくて、岡本敏子編纂によって成立した新書である。だから、一冊の書籍として散漫な感じがあるのはしかたがないし、いま言及したいのはそこではない。

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