2013-01-16
この前、友達と飲んだ。
ここ一年ほどだけでいえば、いまいちばん頻繁に(月イチか2か月に1回ペースかな)会って、食事や酒をともにしている。プライベートが同じようなレベルでうまくいっていない(笑)という点が共通点かな。第三者に対してもつ印象や、人との距離の取りかたに関しては、意見が合致することが多い。私が抱えているいろいろな諸問題について、けっこう鋭い指摘をしてくれるのが、正直、得難いよいことだと感じている。他愛ない世間話をしていても、気が合う。ただ、ディズニーランドが好きだとか(笑)些細だが理解に苦しむことも、実際は多々ある。ま、でも、それも面白い。
その彼が勤める会社の関係者にある政治家がいて、その人の噂になり、しぜんと話は昨年暮れの衆院選に移った。私は、仕事でなければ、相手がどういう立場だろうと先にはっきり好き勝手に発言する癖があるので(仕事の時は用心深いコウモリですのよ、ほほほ)、彼の支持政党や主張を聴く前に、嫌いなアイツやコイツの名を挙げてクソミソに言い、いまやほとんど憎しみの対象となっている安倍を筆頭にしたジミントーをクソミソに言い、「だけど小選挙区は投票できる候補者が立たへんかったわあ」と、ぶつぶつ小言をこぼした。それでひとしきり笑ったんだが、ふと彼が「ねえ、もしかして脱原発派?」と尋ねるではないか。「派」だなんて、私は人間なら「反核・反原発」が当たり前だと思っている。「派」も「主義」もない。だから彼の眼をまっすぐに見て「そんなの常識やん」と言った。賢い彼は、ここでもう「こいつとはこの話題で議論できない」と感づいたのであろう(笑)。「あ、そう」と言っただけで一瞬黙った。そのまま流せばよかったんだけど、賢い私(笑)も彼の瞳の中に「そうじゃないって言いたいんだけど」との意を汲んでしまったので、よせばいいのに彼になんとか口を開かせようと煽るようなことをいくつか口走った。
彼の勤務先は小さな町工場だ。私の勤める零細事務所に比べればはるかにましなはずだが、自転車操業には違いない。「電気」の問題は、直接彼の勤務先と彼自身の生活に降りかかる。
「経済性を考えたら、必ずしも脱原発が正解でもないやろ」
「正解なんて、ないわ。人間として、日本人として、どう行動すればいいのかそれぞれの立場で真剣に考えなあかんってことよ」
「それはそうやな」
「私は私の、君は君の立場で」
「代替エネルギーのめども立ってへんねんで」
「火力でいいやん。それで電気代が倍になっても私は呑む。手を尽くした挙句にそうならね。槍でも鉄砲でも値上げでももってこいバカヤロー関電って感じ? 火力でもたせてその間にほかの手も考えればいいやん。ホーシャノーよりシーオーツーのほうが100万倍も1億倍も、ましやろ」
「けどなあ、そんなん言うてる間に倒れるとこは倒れてしまうしな」
「そやね」
「そやろ」
「お互いキツイ会社に勤めてるもんね」
「うん」
「でも、そんなことは、はっきりいうけど、どうでもいい」
「そういうと思った」
「原発なんてやめようよっていうのは、戦争やめようよ侵略やめようよ搾取やめようよ、というのと同様に、私がずっとずっと抱いてきた切なる願いのひとつやねん。ただこれまで喫緊の問題じゃなかったのが、こんな事態になって、声を挙げているだけ。私の目の黒いうちに原発ゼロは無理かもしれんし、娘の生きてる間にも無理かもしれん。でも、ポンコツ原発しつこく動かした挙句、小さな事故やら放射能漏れをごまかし続けた挙句、あんな大事故になって、日本の北半分を汚して、日本中に汚染された食材やらなんやら拡散して、太平洋に汚染水流し続けて、空中に放射性物質撒き散らして。日本以外の地球人全員から糾弾されてもおかしくないのよ。有害物質を撒いたのよ。究極の有害物質を。それは事実なんよ。《はい、もう原発動かしませんゴメンナサイ》っていうのが当たり前の態度ちゃう? 日本人として。人間として」
「うん。まあな」
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