『辰巳芳子 スープの手ほどき 和の部』
辰巳芳子著
文藝春秋(2011年1月)
料理の本である。でも、基本タテ組み、料理の手順を示す写真の横に時折ヨコ組みで説明が入る。書体は基本、明朝体。細明朝、太明朝、見出し明朝とヴァリエーションをフル活用しているが、ゴシック系のサンセリフ書体は皆無。アルファベットのあしらいも一切ない。アラビア数字は随所に使用されているけれど……材料の分量を表記する際くらいである。なんとも潔い、日本語の本。
料理本の多くはヨコ組み、左開きの体裁だ。人数分や、材料の分量、また1、2、3……と作りかたを箇条書きにする場合、ヨコ組みのほうが誌面が落ち着く。昨今の、レシピサイトや料理ブログ大流行りとあいまって、まるでウエブサイトをそのままもってきたような、ページを繰ると著者のブログをスクロールしているような、そんなつくりの料理本もはびこる。
そして多くの場合、料理本は写真にモノをいわせる。器、クロスなどとともに美しくあるいはセンスよくスタイリングされた料理写真満載の本は、レシピの記載が多少不親切だったり、料理じたいに新味なくありきたりであったりしても、よく売れる。
でも辰巳さんの本は、記憶する限り、すべてタテ組みだ。
タテ組みであっても、レシピが読みづらいとか、手順がわかりにくいといったことはまったくない。それは、辰巳さんの文章が必要十分であるからだ。余計なことを言わないけれど、辰巳さんの想像を超えて現代人は料理を、食を知らないので、そうした初心者の心をわしづかみにする「ツボ」を押さえるひと言がさりげなく添えられている。
「レシピ」なんて外来語は使わない。レシピってどこからきていつの間に料理の作りかたを指すようになったのか。語源の英単語はrecipe。調理法のほか、医療用語の処方箋の意味もある。日本では「処方箋」を指す外来語はドイツ語のRezeptを「レセプト」と読んで採用しているけれど。ちなみに仏語では調理法はrecette。recipeはラテン語由来のようだけど仏語にはない。いちばん綴りの近い語「recipient」は「容器」のことだ。
話が逸れたが、つまり今さら和訳不可能な用語をカタカナ表記する以外には(たとえば「スープ」ね)、氾濫し蔓延るけったいなカタカナ語は用いないのである。したがって、調理上注意を促す必要のあるプロセスについても、「ここがポイント!」なんて表現はしないのである。
なんと「かんどころ」である。ブラヴォ!
いつか辰巳さんのエッセイ本について書いたことがあるけど、とにかく現代人の食生活に危機感を覚え、日本人の食文化の衰退を憤っておられる。時の流れは残酷なほど人間に変化を強いる。人間は変化に抗ったり応じたり、一緒に変わってみたり頑固に変わらなかったりして、生き延びている。そのことを辰巳さんは否定しない。ただ、間違ってはいけないというのだ。
《文化のなかには手放してよいものと、
頼らなければならないものがある。
伝えなくてもよいものと、
伝えなければならないものがある。》(32ページ)