S'il n'a pas dit "Non"...
2012-11-16


と、いうようなエピソードは、アーサー・ビナードと何の関係もないのだが、日本語のチョー上手なガイジンが話すのを聴くとき、例のハンサムヴォイス君みたいな可愛い間違いをしてくれないかとそればっかり期待して耳をハートに、じゃなくてダンボにしている自分に気づいて呆れている。


ビナードはすでに数多くの著作を日本で出しており、明快なその反核アティチュードはよく知られていると思うので、今さらその主張については述べない。先日のトークで彼が言っていたのは、絵を鑑賞するとき、その絵の向こう側、深淵を見つめなくてはいけないし、向こう側から何も語ってくるものがなければ、鑑賞者にとってその絵はただそれだけのものでしかなく、何かを語ってくるならその絵にはそうした力があるということであり、また語ってくるものを受けとめる器を観る側が持っているとき、その鑑賞者にとってその絵は生涯唯一無二の存在になりうるほど大きな意味をもつ、ということである。


ベン・シャーンはビナードの父親がたいへん愛した画家だったそうだ。家にあったベン・シャーンの画集は、アーサー少年の心を捉えて離さず、力強い筆致の奥から湧き上がってくるかのようなパワーめいたものの虜になった。この第五福竜丸の連作を日本で絵本にしなくてはならない、という思いを、実現させたのが本書である。
私が所有するたった1冊のビナードの本。
禺画像]

反核反原発にかんする彼のアプローチは、やはりアメリカ人ならではの視点が効いているといってよく、そんなのちょっと冷静に考えればあったりまえじゃないの、というようなことすら気づいてこなかった日本人のお気楽ぶり、ノー天気ぶりを思い知らされる。

「福島の事故は、京都のせいだともいえるんですよ」

風が吹けば桶屋が儲かる、ふうに言うならそういうことだ。そんな喩えかたは不謹慎かもしれないが、第二次大戦で当初の実験計画に変更がなければ、米軍は間違いなく原爆を京都に落としていた。もし予定どおり京都に落とされていたら、戦後の日本の国土の在りようはもっと違ったものになっていただろう。

「(山に囲まれた)京都だと、爆発後の残留放射能の影響が大きすぎる、後年、ほぼ永久に土地は放射能に汚染されたままになる。そうすると日本人の反原爆、反核意識がとてつもなく高まるので、のちのち扱いにくいではないか」
「日本には毎年9月頃台風が上陸するからそれによって残留物質が海へ流されてしまうような土地が実験には適している」
「放射能が残らなければ、爆撃されたという記憶もすぐに風化する」
「……と考えたと思うんですよ。京都が美しい街だから、とかそんな子どもみたいなこと当時の米軍部が言うわけないでしょ」

ビナードはあくまで「僕の推測」としたけれど、おびただしい文献や証言にあたって導いた結論だから、的を外してはいないと思う。なるほどそのほうが自然だと、私も思う。京都は台風の被害がほとんどないから、まさに残留放射能は山と川と大地に留まり地下水に深くしみこんでいき、二度と人の住めない死の町となっただろう。その影響は、隣の滋賀、奈良、大阪、兵庫へも拡大しただろう。かつてロイヤルファミリーの本拠であった古都を爆撃し壊滅させそのうえ後世にわたって放射能で苦しめ続けることは、米国人の想像以上に日本人の中に対米怨恨を残すのではないか。せっかく戦争の後占領してもそれじゃあやりにくいじゃないか。
理に適っている。

だから海に面した土地をウランとプルトニウムの実験場にした。

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