Angelina...
2012-06-08



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アンジェリーナのショコラ・ショー(=ホットチョコレート=ココア)
ワインを買うつもりで入ったスーパーの、甘いもん売場で偶然見つけて買った。どこだったかな、あれ。オペラ座の近くだったか? けっこう中心部だったと記憶しているが……。でも、「リヴォリ通りのサロン・ドゥ・テ」なんかには行かなかったよ。
それにしても本格的で濃厚な甘さ。濃厚すぎるので淹れかたの説明にあるよりも濃さをゆるめて飲んでいる(でももうすぐなくなるので娘が悲しんでいる。笑)。


『優雅なハリネズミ』
ミュリエル・バルベリ著 河村真紀子訳
早川書房(2008年)


《(前略)わたしはママにアジア風のお店で睡眠薬用に黒い漆塗りの小さなケースを買いました。三十ユーロでした。それで十分だと思ったのですが、エレーヌは、それだけじゃさびしいから何かほかにもあげたら、と言いました。エレーヌのご主人は消化器系の専門医です。お医者さんのなかでも消化器系の医師はかなりお金持ちなのでしょう。でもわたしはエレーヌとクロードが好きです。だって……、何て言うか……完全だからです。人生に満足していて、あるがままの自分でいるかんじがするのです。それにソフィがいます。いとこのソフィはダウン症です。(中略)ソフィを見ているとむしろつらくなります。よだれをたらすし、叫ぶし、拗ねるし、わがままだし、何も理解できないからです。エレーヌとクロードを否定しているのではありません。彼ら自身、ソフィは気難しいし、ダウン症の娘を持つことはまるで牢獄だと言っていますが、それでもソフィを愛しているし、よく面倒を見ています。ソフィのことがあるから、より一層人間として強くなり、だからこそ私はふたりが好きなのです。(中略)リヴォリ通りにあるティーサロン、アンジェリーナに行って、ケーキを食べココアを飲みました。車を燃やす郊外の若者とは最も縁遠い場所だと思われるでしょうか。いいえ、ちがいます! アンジェリーナで、またひとつ判ったことがあるのです。わたしたちの隣のテーブルに、アジア系の男の赤ちゃんを連れた白人カップルがすわっていました。男の子はテオという名前でした。エレーヌが彼らと仲良くなって、しばらく話していました。ふつうとちがう子どもを持つ親どうし、きっと何か通じるものがあったのでしょう。お互いにそうとわかって話しはじめたのです。テオは養子で、タイから連れて来たときは一歳三カ月だったということでした。津波で両親を亡くし、兄弟姉妹も失ったそうです。わたしはまわりを見わたし、これから彼はどうやって生きていくのだろうと思いました。わたしたちがいたのはアンジェリーナです。みんなきちんとした服装で、高いケーキを気取って食べ、そこにいたのはつまり……、つまりそこは、ある一定の社会層の人たちのもので、それなりの信仰や規範、思惑、歴史があるのです。象徴的なのです、アンジェリーナでお茶をするということは、フランスにいて、裕福で、階層化された、合理的で、デカルト的で、開化した社会にいるということです。幼いテオはどうなるのでしょう。生後数カ月はタイの漁村で暮らしたのです。そこは独特の価値観と感情に支配された東洋的な世界で、その象徴はたとえば雨の神様を敬う村祭りで、それを通して子どもたちは神秘的な慣習に浸るのです。それがこんなふうに、フランスの、パリの、アンジェリーナの、文化がまるっきり違った世界に、つまりアジアからヨーロッパへ、途上国から先進国へいきなり移されたのです。

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