《いい文章のいちばんの条件は、これをこそ書きたい、これをこそ伝えたいという書き手の心の、静かな炎のようなものだということです。大切なのは、書きたいこと、伝えたいことをはっきりと心でつかむことです。そのとき、静かな炎は、必要な言葉を次々にあなたに贈ってくれるでしょう。》《自分の心に向き合うことが難しいように、自分の文章に向き合い、自分の文章ににじみでている邪心を見つめるのも難しい。いい文章を書くための道には、果てがありません。自分の文章の拙さ、思いの浅さにのたうちまわってくやむこともあるでしょう。しかし、幸いにも、「いい文章」を書くための道は、果てしないが、つづいているのです。そして、その道を地道に歩きつづけるものだけが、それなりの果実を手にすることができるのではないでしょうか。》(まえがきより)
《渾身の気合いで書く。
そして、肩の力を抜いて書く。
この二つをどう融合させるか。矛盾するようで、これは決して矛盾するものではありません。》(239ページ)
なんとなく、娘の高校の校長ブログを読んでいる気分だ。文章の雰囲気がよく似てる(笑)。
小論文、というと、高校入試、大学入試対策の印象が強い。ウチのさなぎも、高校入試に備えて学校で小論文特訓を受けていたが、こういう際の指導で最も欠落しているのが上記でいわれているような書き手としての心構えである。時間配分も、文字数をクリアするためのテクも大事だが、なにより書きたい、伝えたいという情熱をもって臨まなければ、小論文だろうと大論文だろうと書き手の意思の見えない薄っぺらなものになってしまうのである。
静かな炎だの渾身の気合いだの、そんなもん磨いたって点取れないよ。そんなことを言う人に私は用はないが、できればそう言わずに「書く」ことに立ち向かっていってほしいなと思うのである。私たちが日本人であり、日本語の文章をちゃんと書きたいと思うとしたらそれは気持ちや望みではなく「血」がそう思わせているのだ。点数云々ではなくて、君が日本人であり自分の言葉でいい文章を書きたいなと思うとき、それは本能なのである。
さてさて。
先月最後の日曜日には手づくり市へ行った。