Je me demande si tu m'aimes toujours et si je peux faire quelque chose pour toi, et, et s'il vaux mieux qu'on se voit plus...
2011-09-26


毎日いろいろなことがある。毎日誰かしら人に会い、会わないまでも、必ず誰かと交信している。話しながら、表情を見ながら、時に目を合わせて真意を探りながら、言葉を選んでメールを書きながら、気持ちを量って顔文字を選びながら、それでも私はどこかで上手に表面を取り繕っている。相手の真意は測りたいけれど私の本音は見透かされたくない。私は日々起こる事どもを、毎分毎秒交わす会話を、それらが盛り上がっても破綻しても、なんでもないことのように、流れるままに見送るような顔をして、本当はそうじゃなくてもう少し捕まえて引き寄せてこだわって見せたいのに手を離し、なんでもないことのように、あ、そう、そうよね、ふうん、わかった、じゃあね、みたいな言葉を最後にして相手と別れる。なんでもなかったかのように。
もしかしたらもう二度と会うことはないかもしれないのだ。もう二度と、電話やメールを交わすことはないかもしれないのだ。じゃ、おやすみ。それが最後の言葉になるかもしれないのだ。
いちいちそんなことを考えて日々暮らしてはいない。けれど、あれがあいつとかわした最後の言葉になってしまった、の「あれ」を、覚えているか君は? 二度と会えなくなってしまった人との、最後の交信を、覚えている?
私は、見事に覚えていない。私より先に逝った人たちとの話ばかりしているのではない。意図的に会わなくなった人も、いるだろう? その人と、最後に何を話したか。私が相手に投げて捨てた言葉はなんだったのか。もう覚えていない。そのくせ、忘れられない言葉がいつまでもいつまでも皮膚の奥に入り込んでしまった「そげ」のように、引っ掛かって残って、疼く。
「かつて君と関係があったからこんな話を持ってきたんじゃないんだ。一仕事人として、一仕事人に頼んでるんだよ」
あるとき慎吾が私に言った言葉だ。あれほどまでに長い間私たちは恋人であったのに、それを清算したのはそれなりの理由があったのだからしょうがないんだけれど、あんなにべたべたしてたのに、私が慎吾から聞いた台詞で真っ先に思い出すのがこれだ。味気ないにもほどがある。私たちは、コーヒーだけで、毒にも棘にも薬にもならない会話をいくつかやり取りして、仕事の話は不成立に終え、かつての余韻に浸ってみたいよな、もう少しつき合えよ、ウォッカを飲みたいね……なんつう会話はひと言もせず、その喫茶店をあとにして別の方向に歩いた。最後に私は慎吾になんと言ったのだろう。慎吾は私になんと言ったのか。全然覚えていない。先述したイケてない台詞だけが耳にこびりついている。慎吾は今何をしているのだろう、とふと思い出すことがあって、そんなときに思い出すのがこの台詞だ。声まで覚えている。色気がないにもほどがある。
「君の活躍を世界の片隅で祈っています」

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