Je suis sure que, si c’etait moi qui avais aime cet homme-la, la fin de cette histoire avait ete si differente…
2011-09-14


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『ツ、イ、ラ、ク』
姫野カオルコ著
角川書店(角川グループパブリッシング/2003年)


本書が発売されたときに、書評を何かで読み、すごく読みたくなった。これは読まなければ。非常に強くそう思ったのを覚えている。ちなみに私は姫野の作品を一つも読んだことがなかったし、評判を聞いたこともなかったし、若いのかそうでないのか、作家としてのキャリアもまるで知らなかったし、今も知らない。『ツ、イ、ラ、ク』を読みたくなったといって、いきなり姫野カオルコとは誰ぞやと調べてみることもしなかった。
本書は人気作品なのか、図書館ではいつも貸し出し中だった。何が何でもどうしても読みたい本、読まなければならない本は予約を入れるが、本書についてはそれをしなかったので、たぶん当時の私には、いくら読みたいという気持ちがあっても予約するというアクションを起こすほどの熱意をこの小説にもつことはなかったのだろう。しかし私だって小説の書架を眺めるときはあるので、書架の「作家名ハ行」の棚に姫野カオルコの名を見つけると、『ツ、イ、ラ、ク』を思い出した。しかし『ツ、イ、ラ、ク』はいつも、なかった。しょうがない、他の作品を読むかな。……と、思ったことは一度もない。姫野カオルコという作家に関心があったわけではなかったから。

そのうち、私は『ツ、イ、ラ、ク』を忘れてしまっていた。書架に姫野の名を見つけても、(例によって『ツ、イ、ラ、ク』はなかったから)『ツ、イ、ラ、ク』を思い出すこともしなくなっていた。なぜあれほど読みたいと思ったのだろう。新刊書の書評なんてものは、あらすじを語っていてもネタばれするわけにはいかないし、作品にかんしてたいした情報を提供してくれるものではないのに。

ところが、最近になってようやく、我が図書館の常連組がようやく手放す気になったのか(笑)、『ツ、イ、ラ、ク』が書架にあったのである!
実は他の作家の名前と作品を探して「作家名ハ行」の棚を見ていたのだが、なんとそこに、しれっと、本書が並んでいたのである。あ、あったあーーーついらくーーーーーーっと(小さくだけど)叫んでいた私。

ためらうことなく貸出し手続きを済ませて家に持ち帰り、ずいぶん分厚い本だから長編小説なんだけど、がーーーーっと一気に読んでしまった。これがこの人の書きかたなのかどうか知らないが、語りの主体がコロコロ変わって見えるし、ところどころノンフィクション系筆致になるし、記号など駆使して字面をややこしくするし、正直いって、読んでいて、あまり快適さを感じる文章ではない。そんな回りくどい言いかたしなくても。そこでその説明必要なのか? それは説明しているようで実はしてないぞ。……などなど、はしたないけど心中で「ちっ」と舌打ちしたくなる箇所があまりにも多い。ところが、ヒロインの隼子というキャラクターがあまりに凛と立っていて、この子をめぐるさまざまなことが、次の展開をいい意味で予測させいい意味で裏切らないので、次はどうなる、やっぱそうなる、なるほどそう来たか、思ったとおりだ、てな具合に非常にテンポよく読まされてしまう。


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