禺画像]
百貨店へ行き、買い物を済ませて普段用のないほかの売り場をうろうろしていると、どうぞどうぞお座りくださいと半ば強引に椅子に座らされマッサージ機器の試用を勧められた。あ、いえ、う、などと五十音図のア行しか口に出せないまま、そのおじさんの有無を言わせぬ様子に否応なく機器に足を突っ込んで、スイッチを入れられたとたん、おおおっ(やはりア行)。ふくらはぎから下をくまなくこれでもかとマッサージしてくれるだけでなく、床に寝転んで足を投げ出し、今ふくらはぎをあてている箇所に太腿をあてれば大腿部のリンパマッサージも可能だという。これはすごい。約10分間のマッサージで、まるで全身がほぐされたような効果がある。「肩こりにも効きますよ」「足のマッサージが?」「そおなんです!」ほほー。久々に感嘆したが、製品に値札がついていて、105,000円。そりゃそーだよなー。
すったもんだした挙げ句、何ともかっちょわるい結末に終わった五山送り火なんだけど、今日、例年のように静かに行われた。
いや、「静か」なのは先祖の霊を送る側の「気持ちだけ」なんであって、実際には見物人たちはビール片手に「おっ灯った灯ったきれいやなー」などと口々に叫ぶので騒がしいのである。
あるかたがご自身のブログに「大文字焼き」と書いておられた。こう表現する人が多いのは知っているし、だからどうだっつーことは別に何もないんだけど、今この時期にこのタイミングで著名なかたのブログに堂々とそう書かれると、「五山送り火」が「大文字焼き」という珍称でしっかり記憶されるではないか、と、郷土行事をこよなく愛する私は危機感を覚え、抗議のメールを送った。
*
京都市民として、今回の五山の送り火にかんして、「被災地の薪」をめぐっての顛末はただただ恥ずかしい限りです。
実は、私は被災地の松を薪にして送り火に使うという計画があったことを、「中止」(最初の)が報道されるまで知りませんでした。知って驚き、申し訳ない気持ちになりました。と同時に違和感も覚えました。
五山送り火は全国的に知られるお盆の行事かもしれませんが、当地に住むわれわれにとっては、先祖の魂を迎えてまた送るとき、天への案内をするためにまちを取り囲む五山に灯をともし、霊が迷わず帰るためのしるべにほかならず、それ以上でもそれ以下でもありません。
わずかな時間ですが、送り火の灯るあいだは亡くなった身内、ご先祖さまに思いをしばし馳せます。静かな時間です。
どなたが立てられた計画かは知りませんが、あのように未曾有の大震災で気の遠くなるほどのかたがたが亡くなられ、あるいはその生死の判明しないままの方がまだ何千人とおられる、その事実と、五山の送り火の意味は、正直申しまして少し異なるように思いました。震災で亡くなった方がたを思わないわけではけっしてなく、その魂はきっと私たちのまちをも見守ってくださっているでしょうし、われわれも、安らかに眠られんことを祈る毎日には違いないんですけど、ここ(京都のまちなか)に代々住んでいる者にとっては盂蘭盆会は、「ウチのお盆」でしかなく、五山に灯る火で浄土に帰るのはウチのじいちゃんばあちゃんたちだけなんです。排他的なことを言うのではなく、そういうもんなんです。地域の伝統行事の要素のひとつでしかないんです。
被災地の松云々は、まったくブサイクな結末というしかありませんが、そもそもいったいどなたがそんなズレたことを言い出したのだろうか、とも思いました。
で、メールを差し上げた趣旨は実はこれとは関係なく。
お盆に京都の五山に灯をともす行事は「五山の送り火」、中でも左右の大の字に特化して「大文字送り火」と申します。
「大文字焼き」ではありません。せんべいやどら焼きじゃないんですよ〓。「大文字焼き」と記載されている箇所を直していただけると一読者として望外の喜びです。
*