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『文盲 アゴタ・クリストフ自伝』
アゴタ・クリストフ著 堀茂樹訳
白水社(2006年)
ずっと『悪童日記』三部作を読みたいと思いながらけっきょく、作家の存命中には叶わなかった。アゴタ・クリストフの訃報を目にしたその日かあるいは翌日か、別の用事で出かけた図書館で『文盲』を見かけたので借りた。
「自伝」というサブタイトルがついているけれど、エッセイ集といったほうがよい程度の内容である。軽いという意味ではない。たぶん、アゴタ・クリストフの自伝というならよほど『悪童日記』そのもののほうが近いはずだ。自伝、だろうと、他伝、だろうと、伝記というものに対して読者はもっと詳らかな内容をふつうは求めるものだと思うので、エッセイといったほうがいいんじゃないかと思ったのだ。本書は、彼女が郷土を離れ、やがてフランス語で書かざるをえなくなるまでの彼女の人生を「つぶさに」書いているわけではないから。
だが、敵語の習得を強いられ、家族は離散し、スイスへ脱出し、腹をいためたわが子とは母語ではもはや話せない……という、およそアイデンティティをもぎ取られびりびりと裂かれるような半生を送りながら、それらをなんでもなかったように綴る作家の筆致は、どんなに詳細な伝記が語ってみせるよりも、アゴタ・クリストフという名に代表されるすべてのディアスポラ※たちが負った傷と覚悟と祖国愛を行間ににじませて、読者に動悸を覚えさせる〓〓それが本書である。
※ここでは「パレスチナ人」の意味ではなく、一般的な「離散移住者」の意味で使っている。
《私が九歳のとき、家族で引っ越しをした。引っ越し先は国境に接する町で、その町では、住民の少なくとも四分の一がドイツ語を話していた。ハンガリー人であるわたしたちにとって、ドイツ語は敵語だった。なぜならそれは、オーストリアによるかつての支配を思い起こさせたし、しかも、当時わたしたちの国を占領していた外国の軍人たちの言語でもあったからだ。
一年後、わたしたちの国を占領したのは、また別の外国の軍人たちだった。ロシア語が学校で義務化され、他の外国語は禁止された。
ロシア語に通じている者など一人もいない。それまでドイツ語、フランス語、イギリス語といった外国語を教えていた教師たちが、数カ月間、ロシア語速修のための授業を受ける。しかし、彼らはそれでほんとうにロシア語に習熟したわけではなく、しかもその言語を教えたいという気持ちなどまったく持ち合わせていない。そして、いずれにせよ、生徒たちの側にもロシア語を学びたいという気持ちがまったくない。
そこに生まれたのは、国を挙げての知的サボタージュ、申し合わせもなく、当然のことのように始まった自ずからの消極的レジスタンスであった。
ソビエト連邦の地理、歴史、文学も、同じように熱意の欠けた雰囲気の中で教師たちが教え、生徒たちが学んだ。無知なる世代が一つ、多くの学校から巣立っていった。
そんなわけで、二十一歳にしてスイスに、そしてただただ偶然に導かれてフランス語圏の町に辿り着いた私は、まったく未知の言語に直面させられた。そして、まさにそのとき、私の闘いが始まった。その言語を征服するための闘い、長期にわたる、この懸命の闘いは、この先も一生、続くことだろう。
私はフランス語を三十年以上前から話している。二十年前から書いている。けれども、未だにこの言語に習熟してはいない。話せば語法を間違えるし、書くためにはどうしても辞書をたびたび参照しなければならない。
そんな理由から、私はフランス語をもまた、敵語と呼ぶ。別の理由もある。こちらの理由のほうが深刻だ。すなわち、この言語が、私の中の母語をじわじわと殺しつつあるという事実である。》(40〓43ページ、「母語と敵語」より)