2011-05-13
震災と原発のことしか書いていなかったりするので、アンタそればっかり四六時中考えてんの?といわれるかもしれないがまったく逆で、日々、アタマもココロも、毎朝の弁当づくりと、空模様と洗濯と、得意先の顔色と制作物の出来映えと、今月ある同窓会に何着て行こう、てなことで満杯なのである。ムスメは高校生活を謳歌し、お祝いにもらったiPodを肌身離さずふんふんふん♪とリズムを取りながら宿題をしている。私は、とりあえず私立回避で向こう3年間の学費を心配する必要はなくなったが、老朽化する家をなんとかせねばならず、加えてムスメが色気を出して大学へ行きたいなどと言い募ったらいったいどうすんべか、というようなまだ形にならないが潜在的にある問題の解決の糸口が見出せないのでなんとなく憂鬱である。そして、ふと、そんなことで憂える立場って幸せなんだよね、壊れそうだっていっても、崩れも流されもせず我が家は今日もここにあるもの。
浜岡原発が停止する。
停止した原発って、危険はないの?←素朴な疑問
だけど期間限定らしい。「安全確保」の暁にはまた動かすらしい。なんで? 安全確保って何さ。
いろいろと(利権がらみで)あるだろうが、まずは全部止めて、原発なしでやってくぞ、って話はでけんもんなんかい?
ウチでは前から夏場は冷房なしで過ごしている。さすがに冬は凍死したくないので暖房使うけど、ババハハムスメネコの4名、身を摺り寄せて同じ部屋でほぼ一日過ごす。自販機はほぼ使わないし、深夜は大晦日以外に外出しない。
もちろん、私自身が生まれてこのかたそうだったかというとそんなことはなく、バブリー親父ギャルなのでそりゃもう社会のエネルギーを湯水のごとく使ってゴミを垂れ流して生きてきた、恥ずかしいほどに。ヨーロッパで少し過ごして、たまたま出会ったシンプル質素に生きているひとたちを少し見習おうと思ったのをきっかけに、自身も親になり、まじめに次世代を考えたときに、姿勢を正さねばいかんと思ったさ。本当に、これでもかというほど、地球にはそこいらじゅうに引っかき傷がついている。
私が美大生でいた頃までは、まだ地球は毛布をかぶって寝ていたのかもしれない。
社会へ出てからは、チェルノブイリがあり、ベルリンの壁が崩れ、各地で紛争や大虐殺、テロがあり、日本は阪神淡路の震災があり、奥尻の津波があり、中越の地震も、府北部の洪水もあったし。湾岸戦争、同時多発テロ、アフガン空爆。スマトラの津波があり、四川大地震もあって。そして東北。
北海道には一度も行ったことのない私だが、東北は幾度となく訪れている。とりわけお気に入りは青森県なので、今回の震災の被害は大きくなかったが、青森まで行く途中、もちろん仙台も盛岡も小岩井も遠野も会津も喜多方も行ったさ。ごめん、順不同だ。帰りは秋田も山形も通って帰ったさ。私の町は夏、暑いので、夏に東北へ行くとものすごく涼しく感じたものだ。「暑いっしょ」「暑くないです」「どこから来たね」「京都」「ええとこだが」「でも夏はここより暑いです」「みんな涼しげに着物着て歩いとる」「いえいえ、それ、ドラマだけ(笑)」
そんな会話を宿の人やお店の人とよく交わした。
大好きな弘前ではいつも同じ民宿に泊まった。「次は彼氏と来なね」何度かそういわれていながら毎回独りだったけど、あの温かさはなんとなく独り占めしておきたいというか、誰とも分け合いたくないというか。いや負け惜しみだ、ほっといてくれ。
思い出話になっちゃったが。
そうじゃなくて。
本気で、【必要なものだけ】にしか電力を使わないようにすれば、全国の原発が止まっても、火力と水力を動かせば十分まかなえる。
みなさんは、太陽光や風力という自然エネルギーについてどうお考えだろうか。
セ記事を書く