... Pour ne pas paniquer les populations. Pour sauver l'industrie nucleaire. Pour dormir encore quelques jours tranquilles. ... (Jacques Attali)
2011-04-17


けさ、我が家の仏壇を拝んでくれた坊様が言うには、京都のいくつかの寺の坊様たちが組織をつくり、交替で炊き出しに行っている、とのことだ。よかったよかった。真面目に僧侶らしいことをしている坊様たちもいるということだ。ウチの坊様には跡取り息子がいるので、体力勝負の活動などはすでに息子に任せているらしい。その彼が参加したのは2000人分のぜんざいをつくって配るプロジェクトだった。被災地では十数名の僧侶のためにホテルを用意してくれたそうだ。と、ここまで聞いて、やっぱ被災地に迷惑かけに行ってるだけやん、とおもいかけたが、そのホテルは電気もガスも水も復旧していないのであった。つまり、屋根があるので、雨風はしのげるだけ。ただしそれもいつ崩れ落ちてくるかわからない。したがって、坊様チームのメンバーは全員寝袋とヘルメット持参、非常時には即脱出できるように心得よと、つまりほとんど眠れなかったらしいのだった。「こうして帰る家があり、水や電気を当たり前に使い、翌日も仕事がある。自分はなんと幸福なのかと思う」と、そんなことをしみじみと息子がいうとりました、とウチの坊様は言っていた。ほんまにわたしらのできるこというたら、お経をあげるのとささやかな義援金出すくらいのことで、無力感に苛まれますなあ。

私の仕事は広告系なので、作るものは何でも「ものを売る」ための宣伝手段である。この非常時に(今、この国って非常事態宣言下にあるよね? 違いましたっけ。違うかもしれないなあ。くだらないバラエティ、相変わらず垂れ流されているし……)こんなお気楽な原稿ばかり書いてていいのかよ、といつぞやのプロ野球選手会長君と同じような台詞を吐きたくなるくらい、いま私たちの国土を襲っている深刻な事態と私の仕事はまるで関係がない。ただ私はそれでも毎日家族を食べさせねばならず、たぶん関電の原発から供給されるエネルギーで飯を炊き、水を出し、風呂を沸かし、洗濯をし、パソコンを使い、そしてまたATMから現金を引き出して……。目の前の生活を今日も無事終えるのに精一杯だから、苦悩はあってもそれにとらわれている暇はないのだった。悲しいけれど、昨日も今日も、そして明日も来週も、これまでどおりに生きている。悲しいけれど。私の中に「悲しみ」はない。そういう感情は溜まってはいない。ただつねに胸のうちを流れゆくものがあって、それはただただ、悲しい。

野田正彰さんのコラムから。
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途方に暮れる人、絶望の淵から這い出せない人、あるいは決死の覚悟で再び歩み出そうとしながら挫けている人、そんな多くの、本当に気の遠くなるほど多くの人たちの気持ちをせせら笑うように、福島第一からは放射能がばんばん出ていて、確実にそれは国土と海に染みていて、人身にも蓄積せんとしている。これまた、被災地から遠く離れたところで言いたいこと言ってる人たちのあーでもないこーでもないの議論にいちいち怒ったり泣いたりしないといけない私は忙しい。

いつもの武田先生のブログ。後半を読むべし。
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とっても平和な首相官邸。
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たまにはまともな仕事もするのでかえって始末が悪いNHK。要は単純比較は危険ってことで。
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少し古いけど(4月1日)、至極まともなアタリさんのお言葉。いろんな人があちこちで同じことを言ってたんだけどね。私も含めてね。
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こっちのほうが記事としては好きだったりする。フィリップ・ポンスさん、久しぶりにお名前拝見。
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[おもったこと]

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