Au secour!
2011-04-04


最近リンク張ったり引用したりしている中部大学の武田先生のサイトを毎日見ている。

「汚染・6日に日本全土に拡がる怖れ」と題してとても恐ろしいことが書いてあった。

「ドイツの気象サービス及びノルウェーの発表では、4月5日から7日にかけて、福島原発からの風が一旦、南に行き、四国・九州にまで南下し、そこからさらに偏西風で日本列島を縦断して、北海道に達すると予想されています。」
――と書き出して、ドイツ、ノルウエー製の図を貼っておられる。続きは下記で。

[URL]

大げさなことを書いて国民の不安を煽るな、という苦情というか怒りというか脅しというか、そんなメールや電話が来るそうだ。余計なことをする暇なやつがいるもんだな、と思う。武田先生は一研究者として見解を述べているに過ぎない。その態度は誠実だと思う。武田先生が批判している他大学の大先生たち、原子力保安院のエライ人たちも、ある意味、同じである。発言する人が、国民の将来的な健康を最重要視してものを言うか、とりあえず目先の保身を第一に考えるか、などどこに力点を置くかで話しかたはずいぶん変わってくる。テレビで一過性の音声として聞くのと書かれたものを読むのとでは受け取りかたも異なる。何を、誰を信用するのかは私たちひとりひとりが判断しなくてはならない。情報過多時代においては、受け手の受信感度と知的レベルとが高くないと道を誤る。……ということはわかっているけど、原発すなわち放射能汚染の問題は、「受信感度と知的レベルと」を高くして、「私たちひとりひとりが判断」するにはあまりに重すぎる。突然突きつけられた事態を自分のこととして、身近な問題として認識するには私たちの想像力は乏しすぎる。私たちはいつだって、社会的弱者をいたわろう、差別をなくそう、ゴミを減らそう、分別収集に協力しよう、地球環境保護のためにCO2を減らそう、リサイクル、リユースしよう……と掛け声をかけあい、それはひどく遅いペースではあるけれども、日本の社会はたしかに少しずつ成熟した社会へと歩みを進めてきた。でも、壊れた原発は、そうしたひとりひとりの小さな努力や心がけの賜物を一気に無にしてしまう。放射能汚染に見舞われたら、ゴミを出す出さない以前の問題だ。無農薬野菜とか有機栽培とかも意味をなさない。農薬や化学肥料まみれの野菜だって放射線よりマシだ。そんなふうに考えて、その被曝量を検証しないで騒ぎ立てる人たちが出てくるのも目に見えている。
それに対して騒がないでと「冷静」を呼びかけることは間違いではなくて、実際、程度によっては騒ぐ必要はまったくないのである、大人は。何十年も不節制をしながら生きてきた大人は、明日癌で死ぬことになっても、その原因を、酒かタバコか脂肪の摂りすぎか、あるいは被曝か、特定しようなんて無駄な作業だからだ。
だが子どもは違う。武田先生も繰り返し述べておられるが、心配ないとされるレベルでも、10代以下の子どもたちと妊婦さんは徹底的に放射線から避難してほしい。今すぐ病気になるわけではない。5年後、10年後に、じわじわと、「あのとき放射線の影響を受けた」ことが実験結果として証明されるかのように、健康被害が顕著になってくるのだ。ドイツやノルウェーの風向き予測が当たるとしたら、あさってから3日間ほど関西にも放射性物質が飛散するわけだ。世の中、入学・入園、始業式まっさかりである。


ノンフィクションライターの久田恵さんが、根津八紘氏と野田聖子氏との共著『この国で産むということ』を評した欄で述べておられた。いまさら「少子化問題」なんて言うな、と。

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[おもったこと]

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