2010-07-21
『ラティファの告白 アフガニスタン少女の手記』
ラティファ著 松本百合子訳
角川書店(2001年)
タイトルが示しているように、本書は小説ではなくラティファというアフガニスタンの女性のアフガニスタンでの生活を綴ったものである。ラティファは二十歳になって、半ば亡命に近いかたちで渡仏した。フランスのジャーナリズムにアフガニスタンで起きていることを、とくに女性に起きていることを語るためである。本書はラティファが語った内容が仏訳されてまずフランスで出版され、それが日本でも翻訳出版されたものだ。フランスでは現在、アフガニスタン救済を呼びかけるNPO等の活動がけっこう活発なので、当時ラティファの本はかなり売れて読まれた結果ということなのだろう。
小説ではないから、過日とりあげた『ボッシュの子』と同様、物語的な盛り上がりや起伏がない。惨い現実が次々と語られていく。ひとつひとつのトピックは、あまりに惨たらしくあまりにひど過ぎて、穏やかに可もなく不可もなくのお気楽人生をすでに半世紀近く送る私にはとうてい想像つかないことばかりである。もちろん、それは著者のラティファにとっても惨たらしく耐え切れない事実なのであるが、彼女の語り口がそうなのか、仏語訳のせいなのかあるいは仏語からの和訳のせいなのか、どうもとりとめのない作文を、いや作文として読めばすこぶる優秀作品なんだけど、読まされている感じが否めない。しかし、それは言いっこなしだな。
イスラム原理主義というやつは、どうしてこれほどまでに生あるものに対し残酷になれるのだろうか。私にとって関心のあるイスラム国家といえばマグレブ三国とパレスチナで、残念ながらそれ以外の国に関する知識は非常に寒いのであるが、たとえば、アルジェリアにおける武装イスラム集団のテロは一時非常に活発だったのでいつも報道にかじりついていたが、奴らはただ殺すだけでは気が済まないようなのである。とくに女性に対してとことん残酷である。90年代によく読んだルポの内容はいまうろ覚えだが、殴りつけて息の根を止めた妊婦の腹を切り裂いて胎児を引っ張り出し切り刻んで捨て置くとか、首を絞めながら輪姦した挙句股間から真っ二つに裂いて吊るしておくとか、身体のパーツ(腕や脚はもちろん眼球とか乳房とか性器とか)をご丁寧にも全部ばらばらにして並べておくとか、とにかく、その行為にどういう意味があるんだよ20字以内で説明せよ、とか、女性性へのその憎悪の根拠は何なんだよお前たちは誰の腹から生まれてきたんだよこれについて思うところを50字程度で書け、と詰問したくなるような、えげつないにもほどがあるのだ、惨殺ぶりに。
本書にも、似たような記述は出てくる。タリバンがカブールを制圧して以来、まったく被らなくてもよかったチャドリ(顔をすっぽり覆う黒いヴェール)の着用が強要され、仕事をする自由、外出する自由を奪われるのは女性たちである。ちょっと近所へ行くだけだからと何も着けずに外へ出た7、8歳の女児たちが「強姦され、殺されて性器を引きちぎられてゴミ捨て場に捨てられていた」とか、タリバンが召集した場所で学生たちが見たものは、「観音開きの扉に全裸の女性の死体が真っ二つに裂かれて一片ずつ左右の扉に貼りつけてあった」などなど。それは見せしめであり、俺たちタリバンに逆らう者はこうなるぞと主張しているのだと著者は言う。タリバンはもちろん男性も殺す。しかし死体を弄ったりはしないのだ。女性がいなければ男性だって世に存在できないのに、女性をこの世から壊滅しようとしているようだと著者は言う。女性から自由を奪い、希望を奪い、意思を奪い、心を奪う。女性は生まれながらにして男性の奴隷でありその庇護なしには一歩も行動してはならないのだ。14、5歳で結婚させられ、子どもを生めば用無し扱いされてとっとと捨てられる(=殺される)。
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