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※私はもともと方言の姿というものに関心があって、フランスにいるときもいわゆるパリジャンのフランス語には興味がなく、滞在していた南の方言(オック語やプロヴァンサル)や訛り(アクサン・ミディ)を真似しながら、カタルーニャ語やイタリア語との類似性はいかに、みたいなことを論ずる授業を受けたりしていた。
対談記事の次には、水俣病患者のひとりで旧水俣病認定申請協会長を務められた緒方正人さんの講演録が掲載されている。こちらは、チッソが垂れ流し続けた水銀に身も心も故郷も引き裂かれた当事者として、同様に平易な言葉ながら、ひと言ひと言がやたらと心に突き刺さる。ただし、それでも、知識のない者にはピンと来ない。水俣病の被害はあまりに大きすぎ、傷はあまりに深すぎて、その傷痕からはまだまだ膿みが出て尽きることがないようなのだが、その厳しい現実が私たち門外漢にはわからない。だから、この特集(は、水俣の特集ではない。日本の自然と美の特集である。このあとに自然美としては沖縄も瀬戸内海も出てくるし、生活や芸事における日本の美しさも論じられているのである)を、鶴見×石牟礼対談と緒方氏講演録をどちらを先にどう読んでも水俣のことも丸い言葉のありようもわからない。べつに、わからなくってもよかったんだけど、わからないままにしておくのは何となくキモチ悪かったので、読破できる自信はなかったが、その昔気まぐれに古書店で(たぶん)買った石牟礼の『苦海浄土』を読み始めたのだった。
購入当時の私の頭はこういった書き物をまったく受けつけなかったのか、叙情あふれ不知火海への愛に満ちた石牟礼の筆致を理解するキャパがなかったのか、とにかく私はほとんど読めた記憶がなかったのだが、歳はとるものである。何十年も生きているということが役に立つってこういうときだよね、としみじみ思う。『苦海浄土』についてはまた今度。