2010-04-27
『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』
リリー・フランキー著
扶桑社(2005年)
私「見てみて、ほら」
娘「あ、東京タワー。どっち? オカンのほう?」
私「うん、オカンのほう」
娘「なんでそんなん、今頃読んでんの」
私「図書館の棚で、初めて見た、これ。こんな白い本やったんやーと思って」
娘「ウチ、借りて読んだで、1年のとき」
私「学校の図書室で?」
娘「ううん、サリーから。あ、でも、全部読まへんかった、たぶん」
私「なんで? 長すぎた?」
娘「うーん、あんまり覚えてへんけど……何の話なん、これ、……っていう感じで」
私「長すぎたんやな、要するに」
娘「そういうことやな」
私「なんかさ、ようあったやん昔生き別れになった親とか子どもを探して会わせてくれるっていう番組」
娘「うん」
私「ああいうのでさ、なんか再現映像とかあるやん、素人くさい役者使ったやつ」
娘「うん」
私「そういうのを字で読まされてる感じ、するわ」
娘「……ふうん……読んだ人は泣ける話やってゆうてたで」
私「最後、オカン死ぬから、そら、泣けるやろ」
娘「オカン、死ぬんか」
私「オカンの病気のとこまで、読んでへんやろ」
娘「なんか、今どこに住んでんの、これは誰のばあちゃんなん、とかオトンはどうしてんのとか、そういうことがわからへんまま歳だけとっていってる、みたいな」
私「ははは。あんたの読みかた、それ正しいわ」
娘「お母さんは、泣けへんかったん」
私「リリーさんがお母さんの前に座ってて、一緒にお酒飲んでて、俺な、実はな、小さい時はこうでああで、大人になったらこんなであんなで……ていうふうに身の上話をしてくれはったんやったら、もらい泣きしたかも知れんわ。わかるで、つらいやんなあ、とかいいながら。けどな、本っていうか小説にされると……ちょっと辛い。紙とかインク使うならもうひと工夫してほしい」
娘「文章にしたらアカンってこと?」
私「インタビュー記事ならオッケーやで。ただし100分の1に圧縮せなあかんけど、長さを」
娘「今頃読んでるし、よけいに面白ないって思うんちゃう?」
私「小説っつーもんはいつ読んでも面白くないと小説とはいわんのよ」
*
リリー・フランキーの『東京タワー……』は、いつも貸し出し予約数が500以上で、つねにランキングのトップクラスにあり、『よろしければ寄贈をお願いします』という図書館の呼びかけの上位に名を連ねていた。愛するウチダの本をはじめ、読みたい(けど買うには高い、あるいは装幀デザイン的にちょっと気に入らない)ものなど、100だろうと200だろうとどんなに予約が入っていても私はめげずに予約を入れるんだけど、そもそも小説を読まない私には、貸し出しランキング上位にあったダヴィンチ・コードや告白や作家名でいえば東野なんとかさんとか「伊」のつく人とか(すみません、ほんとに覚えてないんです、名前を伏せたいわけじゃなくて)、そして本書も、まったく興味をそそられなかったが、それでも人気があるということだけは社会現象として知っていたので、図書館書架にてん、と並んでいるのを見るとおおおっと仰天した。とうとう普通の場所にお目見えしたな、と。それでつい、手が伸びてしまったのである。
で、感想は、娘との会話で述べたとおりである。
リリーさんの自伝である。小説ではなく自伝である。そう思えばよい。多才な人らしいので、自分で書きたかったんだろうし、ただただ書きたい気持ちに任せて素直に書いた、ということだろうから、そういうもんがこの世にあってもいいと思う。
でも、本屋大賞だって。
山崎ナオコーラさんという作家さんが、どんな文学賞よりもほしい賞だと言っていたので、受賞作としてちょっぴり期待して読んだんだけど。
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