ひとは幸せな記憶を長くはとどめておけないものだからせめて辛い記憶は埋もれたままにしておくれ
2008-12-15


やめてほしいイベントが二つある。
「流行語大賞」と「今年の漢字」。



流行語大賞を云々するシーズンになると、流行り言葉っていったい何だ?と、まずそこから定義をし直さなきゃという面倒くさい(実に面倒くさい)気持ちになるのが、まず嫌である。
流行語って、その語の意味を共有する人々が集う場所もしくは住む地域もしくは所属共同体のなかで、その人たち誰もがつい口にして情報共有感または連帯感を確認できて、なおかつ、楽しくウキウキした気分になるとか、その語をやたらと用いることで人とかモノとか事象を揶揄したりリスペクトしたりするという気分で盛り上がれるとか、そういう類のものだと思うんだけど。
ひとつの国で「流行語大賞」というからには、【その語の意味を共有する人々が集う場所もしくは住む地域もしくは所属共同体】イコールその国、ということになる。

歴代流行語大賞については何も知らないが、毎年候補語がメディアで取り沙汰されているのを見ていると、何が面白いんだかさっぱりわからない芸人のギャグだとか、有名人がたまたま口走ったのをマスコミがやたら書き立て皆の耳に馴染んでいるというだけのフレーズだとか、そんなものばかり並んでいて、それを「流行した言葉」と位置づけてええんかい?と首をかしげてしまうのだ。

ちなみに2008年、私と娘の口にやたらのぼったのは、「いみがわからへん」。
小学校のときはやたら「いみふめー!」と叫ぶ娘(とその周囲の小学生たち)の真似をして私も「いみふめー!」を連発していたが、「いみふめー!」は、子どもの中学校入学とほぼ同時に「いみがわからへん」に変化した。

「いみがわからへん」は、娘がいうには、数学科担当教諭で部活の副顧問でもあるサブロッチ先生の口癖らしくて学校でも話題らしいんだけど、私が思うに、娘はサブロッチに会う前から「いみがわからへん」といっていたはずなのである。むしろサブロッチのほうが生徒の口真似をしていて、いつのまにか口癖と指摘されるほど頻繁に用いるようになったんだ。

実はあるとき私は、子どもみたいに「いみふめー!」というのをやめて、意味がわからないときはちゃんと「そんなの、意味がわからへんよ」、と意思表示するようにしようと心がけ始めた。それは昨年末頃のことだ。それから、しばらくして娘は「いみふめー」のかわりに「いみがわからへん」というようになった。そして、自分でも気づかないうちに、連発するようになった。

たぶん、子どもをもつ各家庭で同じようなことが起きていて、中学生になった子どもたちは「いみふめー」をやめて「いみがわからへん」というようになり、サブロッチにも波及した……のである。

どうでもいいことである(笑)。
が、私たちは、それぞれが「いみがわからへん」というとき、あるいは相手がいうのを聞いたとき、サブロッチを思ったり、数学のテストの悲惨な結果を思ったり、部活のきつさを思ったり、漢字では書けないくせに「いみふめー」といっていた頃の可愛らしさを思ったり、この言葉ですべてを片づけて逃げようとしている自分を思ったり、するのである。
なかなかこれで、いろいろな事どもを含むのである。そしてやがて使わなくなるのである。流行語ってこういうもんじゃない?



もうひとつの「今年の漢字」。
「流行語大賞」とは違ってこちらはローカルイベントである。
ご存じない方のほうが多いに決まっている。
説明するのも腹立たしいが説明すると、「その年の世相を表す漢字一字」を決めるイベントである。

この国がちっともよくならないのは、関西に元気がないことが理由のひとつだと思っている。首都圏に次ぐ経済規模のこの地域に元気がないと、例えば地方分権の議論も盛り上がらない。首都機能分散とか道州制とかにしても、関西の発言に説得力がないと進まないであろう(私は道州制なんか反対だけど)。

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