その箱を開けてはいけません(3)
2008-06-22


『箱男』
安部公房作
新潮文庫(1982年)※作品初版1973年


箱男、というと、某ぶ○し○う塾に投稿されたどなたかの小粋な一編を思い出す。それ以外にも、箱の中に人が潜んでいるという設定で書かれた文章はいくつかあった。那須さんの『筆箱の中の暗闇』もうそうだけれど、箱の中というとその言葉には何やら深遠さがつきまとう。箱は、一面を除いて閉じられていて、本来その空間には限界があるもののはずなのに、箱は出口のないトンネルのように長かったり、底なし沼のように深かったりするのである。とにもかくにも、蓋を開けてみないことには中身の正体がわからない。開けたとたん何かが飛び出るのなら、話はそこで終わって明快だが、タチの悪いことには、なかなか開かずに音だけがするとか、全開せずに小さな穴だけが開いてそこから覗いて中を推測するしかないとか、そういうケースがままあるのである(あるか?)。

安部の『箱男』とは、箱の中にちんまり座っている小さな男ではない。段ボール箱を頭からかぶった男のことである。彼は、頭のてっぺんから体全体の3分の2程度を箱ですっぽり覆い、下半身はドンゴロスを巻きつけるなどしておおい、道路でも川土手でも好きな場所に座れるようにしている。かぶっている箱はかなり大きなものである。箱の側面から手を出したりはしないで、全部隠している。箱男は、かぶった段ボール箱の中で、拾ったものを食い、本を読み、日記を書き、自慰にふける。箱の内側にはいくつかフックがセットしてあって、ペンだのメモ帳だの手鏡だの懐中電灯だのがぶら下げてある。箱男は、段ボール箱の「座り」をよくするために、自身の頭に雑誌(たぶん少年漫画誌みたいな厚みのある軽いもの)をくくりつけて安定させている。

箱男は路上生活者である。
寝るときは箱をかぶったまま、そのへんに座る。
箱の中で体育座りして、小さく丸くなる。
アパートのゴミ捨て場とか、繁華街の裏通りの、家電量販店が不要梱包材をかためて置いている場所などで、そのようにしていれば、誰もその箱の中で人間が生活をしているとは思わないのである。

箱男は路上生活者である。
路上生活者は移動しなくてはならない。
歩く必要があるのだ。
だから、前が見えないと困る。
したがって、箱男の箱には、ちょうど目の位置に小窓がある。
ご丁寧に、その小窓にはカーテンがつけられていて、それは半透明のビニール片などでできている。
外から箱男を眺める人間は、箱男の視線はわからないけれども、箱男は、そのビニール越しに、もしくは(カーテンは二、三枚の短冊状のものを連ねて貼ってあるので)カーテンをちょいとめくって外を窺うことができる。

《……呼び止められた事さえある。そのたびにぼくは、いつものくせで、傾けたビニールのカーテンの隙間から、黙って相手を見返してやったのだ。あれには誰もが参るらしい。警官や、鉄道公安官でさえ、尻込みしてしまう。》(43ページ)

そりゃ、そうだろう(笑)
迂闊だったな、と思った。
箱の中を覗く、という発想はよくあるし、よくあるとはいえそこにはまたいろいろな想像、さらなる創造が可能である。
しかし、箱の中から覗かれる、というのは、しかも箱の中に住むちっちゃな妖精の視線などというファンタジックなことじゃなしに、等身大の人間が箱の中から普通の人々を「覗きながら移動する」だなんて。

安部公房といえば『飢餓同盟』や『他人の顔』などすぐ思い浮かぶタイトルはあるが、例によってどれも読んだことはなかった。『箱男』のほかに読むとすれば、どれを推薦してくれますか、みなさん。


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