オサムのメグミ(1)

コメント(全13件)
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midi ― 2008-03-14 11:14
いい雰囲気ですよね、これ。
でも、自宅のボロMacだとフリーズしちゃって見られないんです。他のテンプレと何が違うのよ、でんちさん!(と、ムダと知りつつ呼んでみる)
きのめ ― 2008-03-15 12:24
おじさん的思考、読み終わりました。
ところどころひっかかるところはありましたが、これはあくまでもこちらの知的レベルの低さの問題だと思います。知的なレベルを別にして、わたしの生きかたと共通するところを見つけ驚いています。

「自称リベラリストたちが陥る論理矛盾」のなかで
>民族や人種で集団を一括りにして、その集団を「当為」で律する発想そのものを根絶しない限り、ほんとうの意味で多様性に対して寛大な社会などというものは実現できない。(p37)
と述べてます。同意する人は少ないんでしょうね。わたしは同意しますが。
わたし自身いつもその他大勢の名もない庶民として生きてますが、でも顔もある、名前もある、息もしてる、感動もする。ただ、少しだけ多くの人と比べてずれてるだけですけど。

「オン・デマンド教育」の中で
>学校での暴力を根絶するさしあたり一番効果的な方法は、学校からいっさいの「人格教育的要素」を排除することである。(p43)
極論ではあるが残念ながらこれも真実だと同意します。そのあと内田さんが述べているように
>限定された技術と情報を「オン・デマンド」で伝え、習う側には適切な対価と必要なルールの遵守だけを要求するようなビジネスライクな学校。そこでなら、どのような暴力事件も生じないであろう。私はそう断言できる。しかし「オンデマンド」教育は本当の意味での「教育」ではない。(p43)
わたしには、ここに、ある集団を「当為」で律する思想が入るからややこしく複雑な綱引きが始まるのだと思っています。
自分の子どもは他人から見れば、小汚い言うことの聞かないうるさい動物でしかありえません。他人様にとって、よその小汚いガキより自分が飼ってるペットのほうが、もっとたいせつで理解できるものなのでしょう。それを金のためか職業意識かはたまた高邁な知への求道的精神からか、わたしの小汚いガキどもをまっとうな人間として扱い、かつ義務教育を終了する12年間も面倒を見てくれたことに対し、わたしは本心から教師と学校を尊敬してます。
教師も、わたしとおんなじただの中年のおっさんたちに過ぎません。
わたしは自分の息子ですら、ときとしてさじを投げ、「おまえみたいなやつをこのまま社会に野放しにするくらいなら、親の責任において殺してしまうのが俺の社会に対する責任の取り方だ」などと威圧的に自分の息子1を押さえ込んで屈服させてきましたし、息子2にも3にもそうするのだろうと思っています。
大いなる矛盾なのですが、息子たちが、自分より圧倒的に弱いものに対し相応の理由なく力を誇示したり、嫌いだ・自分の意見が違うというだけで攻撃したり、何かを教わっているときになめた生意気な態度をとったりすると、わたし自身が「親の責任」というわけのわからない理由で子どもを屈服させ、力を誇示してしまうのです。反省は時折するも、長続きはしません。
そんな下らない親に育てられたわけのわからない生物を、長所を見つけ何とかのばそうと悪戦苦闘している先生に、真実本当に感謝してます。
あるとき息子1が「あの先生は」と批判したので、「あのな、おまえ自身がその先生の立場でおまえたちを教えてると考えてみろ。それでもおまえのやり方が優ってると信じるなら先生とそのことについて直接話してみろ」といってやりました。彼は先生と直接話したようですが結局納得できず、「自分が教師になったら、あの先生と同じやり方はしない」とのたまっておりました。
「先生もこんな生徒を持ってたいへんだな。俺は企業の管理職だから内容を聞く前に心情的に先生の肩を持つ」と彼に言ってやったら、「たしかにこんな生徒ばかりじゃ疲れるだろうね。でも僕みたいのは少ないはずだから。それに先生としてきちんと立ててはいるんで」と涼しい顔をしておりました。

「押し掛けお泊り中学生」の中で
>子どもが学校に敬意を抱かないのは、親が学校に敬意を抱いてないことを子どもが知っているからだと私は思います。(p137)

(省略されました)
midi ― 2008-03-18 10:48
きのめさん、ありがとう。
折を見てゆっくりお返事します。
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