空気の温度と湿度を感じる物語

コメント(全8件)
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おさか ― 2007-11-09 09:33
ああ、ほんとうにタイトル、いいですねえ。そして書き出しも。
>トビを買いたいと思ったのは、雪がたくさんふった年のことだ
これでもう読み進んじゃいますね。
翻訳本って私好きなんですよ。原書が読めるほどの語学力がないってのもありますが、「翻訳」という作業は本当に日本語に対しての知識とこだわりと技法がないと出来ないので、なまじっかな日本人作家より文章が整理整頓されていてキレイなんですよね(もちろん上手い人は、ですが)

小説の書き方とか新人賞の取り方とか、もろもろの小説作法の本を見ていると必ずあるのが「タイトルと書き出しの大切さ」。一番先に目に触れるところですもんね。
下読みの人によると、最初の数ページでダメだとあともダメ、って定説もあるそうで。極端なこというと、推理ものやミステリーのようにどんでん返しを狙うようなものじゃなきゃ、ラストはどうでもいいんだそうですよ(笑)
ゆっくりと動いていく小説であっても、全体のイメージを最初にちりばめておくっていうのは手なのかもしれない。ひきつけるものを前に。あとはゆるゆるともって行く。
ろくこさんたらいいなあ、蝶子さんに見てもらってるなんてずるいわっ
次回は私もお願いしようっと♪和紙つけますからっ(笑
midi ― 2007-11-09 12:04
おっしゃるとおり、翻訳力は日本語力なんですよね。小学校から英語のオーラルレッスンやらせろってわめいてる役人どもやエセ識者らは総じてろくに外国語読めないし文章書かせたら意味意図不明なんですよね。わかってないんだよね、本当に必要な力がなんなのかって、さ。あ、そういう話じゃないか(笑)。

冒頭のひと言が大事だとよく言われますね。たぶんビジネスの現場で書く企画書なんかもそうじゃないかな。方法は違うにしても。

唐突でなくてもいいんですよね、なんだろう。次へ引っ張っていく力のある一文。それが冒頭に求められる。強さとかではなく。
儚い預言者 ― 2007-11-09 21:14
私であるところの、かつ私でないとき、見つめる瞳は何を語るのだろうか。
 美しさと沈黙の豊饒は、どれほどのストーリーが必要なのだろうか。
 人の生きる息に、迷いと悟り、鼓動と静寂、そして動きと存在。
 流す涙と震える心は、その位置を据えながら、周囲に転移していくのだろう。
 主題は語るが、背景は語りの奥で同期する心で呼びかけている。
戸川リュウジ ― 2007-11-10 00:15
こんばんわ
はじめまして。

『おわりの雪』
なかなかいい題名です。
話もなんとなく良さそうです。
今度読んでみようかと思います。
幸運にも僕の友人には本屋がいまして、僕は何時もそこでしか本を買いません。今度、注文しよ。

ちなみにこのブログを知るきっかけは、『内田樹の研究室』のブログを読んでるときにコメントが寄せられていたのを読んだからです。
なんとなく好感が持てたので、このように便りをさせていただきました。
ご迷惑でなければ、今後ともよろしくです。
midi ― 2007-11-10 07:07
預言者さま
よく「もうひとりの私」などという言い方をします。でもその「もうひとりの私」はどこにいるのでしょうか。読む「私」、語る「私」、書く「私」などなどの私と対象である「読まれる本」「語られる物語」「書かれる文章」のあいだに、「もうひとりの私」がいるとしたら、それは、もうひとりの「私」ではなく何か別のものかもしれません。そしてそれは「私」の側にいつも潜んでいるものではなくむしろ対象物の側に在るのかもしれません。たとえば書物の行間に、声と声のあいだの時間に、鉛筆と紙の隙間に。

戸川リュウジさま
はじめまして、いらっしゃいませ。
お名前は内田さんのところで拝見して私も見知っておりました。
退屈なところですが、これからもいらしてくださいね。
お友田達が本屋さんだなんてうらやましいですね。きっとそのお友達はいい人ですね。私の偏見ですが、本屋さんに悪者はいないのです。
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