ツダとダン
2007-10-23


繁華街から少し外れたところに「ブラックコーヒーのうまい店」という枕詞のついた喫茶店がある。紅茶もジュースもメニューにはあるが、いちおうコーヒー専門店だ。店名はシンプルにマスターの苗字で「ツダ」。「ツダ」の狭いカウンターには、いつも常連がひしめいていた。扉を開けると煙草とコーヒーの混じった空気がむあっと吐き出される。それをくぐって「ちは」といい終わらないうちに「ブレンド」というのが私の慣わしだった。そうしてたびたび店に足を運んでいるにもかかわらず、マスターもマダムも私を覚えてくれなかった。ブレンドコーヒーが運ばれてくると必ず「お客さん、お砂糖もミルクもお好みで入れてくださっていいっすが、最初のひとくちだけでもブラックで味わってくださいな」とおっしゃるのである。初めての客に必ずいう台詞なのだが、私は行くたびにそういわれて、そんなに印象薄いのかなとしょんぼりしたものだった。そういえばあの頃毎月髪型と髪の色を変えていたから無理もない、かもしれなかった。カウンターは常連が占拠していたとはいえ、わずかな数のテーブル席では物見遊山の客の出入りがひっきりなしであった。よほど毎日通わないと常連と認知してはもらえなかったのだろう。
 もうひとつ行きつけの店があったが、頻度は「ツダ」と変わらないけどそこのマスターは私の顔を見ると「お、いらっしゃい。今日もモカ?」と訊いてくれるハンサムダンディであった。私が入り浸っていた頃は「DAN」といったが、あるとき改装して「暖」になっていた。ああ、ダンはこのダンの意味だったのか、マスターが「団さん」てわけじゃなかったのね。でも、小さな変化だったけどどうも「暖」は違うような気がして、改装後のその店の扉を一度も開けたことがないのである。
[したがき]

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