猫に支配される幸せ
2007-10-02


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猫を愛し、愛猫サンボと暮らすギャリコは、ツィツアの渾身の原稿を読み終えたとき、少しだけサンボを疑いの目で見るが、「まさかね! うちの猫にかぎって!(中略)サンボは明らかに、いつも通り、まったく疑いなく、私に夢中だった。」(200ページ)
というわけで、人間というものは猫に乗っ取られていながら自分が猫を世話していると思い込んで幸せに癒されているわけである。

前に、ギャリコの『ジェニイ』に触れたけれども、『ジェニイ』が猫の冒険譚であるのに対し、本書はいかに平和で穏やかな日常を手に入れるかに重点が置かれているだけあって、突拍子もない大事件は描かれない。だがツィツアも恋をし母になる。よそのうちでも可愛がられたりする。飼い猫の日常に時々訪れる大波小波。猫を飼う者には、その行間までたまらなくいとおしく感じられる。ツィツアが語る人間たちはときに滑稽だが、ツィツアはけっして人間を馬鹿にしてはいない。人間を知り尽くし、利用もするが、愛すべき存在であるとも考えているのだ。……と、愚かな人間たちに考えさせてしまうほど、ツィツアの語り口は巧妙だ。

我が家の猫をじっと見る。
猫を飼う生活が始まってまだ2年にもならないのに、私たちはこの家の歴史が始まって以来ずっと私たちのリーちゃんと一緒に居るような気さえしている。私のケータイは猫の写真だらけで、娘は暇さえあれば猫の絵を描き、私は猫の絵本まで作ってしまい、私の母はほぼ10秒おきに「リーちゃん、リーちゃん」と話しかけている。

忘れてならないのは、容姿に自信を持って毅然とした態度で臨めば、必ず成功するってことなのよ。

ツィツアがいいそうなこんな台詞を、我が家の猫も反芻しているに違いないのだ。

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